『おかよ、目を覚ましてよ!あの男あんたのことなんか愛してないわ、利用されてるだけよ』 『ごめんねおみつ、わたしやっぱりあのひとなしじゃ生きていけないの』 『あんたをこんな目に遭わせておいて?怪我だってまだ治ってないのに…おかしいよ、おかよ!』 ブラウン管を眺めながらせんべいをかじる。バリバリと響くせんべいの音がテレビの音声をかき消すけれど、グッダグダの台本なので少々聞き取れなくても問題はない。アホらし。 「どんなスジですか、コレ」 雑誌片手に休憩室に入ってきた山崎が、給茶機から茶を汲みがてらこちらを振り返る。 「DVにあって女主人公宅に逃げ込んできた友達が主人公を振り切ってクソ彼氏のところに戻ろうとしてるところでさァ」 横に座る総悟が棒読みで説明をすると、へー、と言いながら山崎は俺の斜め向かいに座った。 画面の中では愁嘆場は続いている。友達が主人公を振り払ったところで場面が変わり、クソ彼氏に抱きつく友達。いきなり理不尽なことを言い出し殴りにかかるクソ彼氏。もはやコントだ。 山崎は茶をすすりながら、見るものんきな顔で呟く。 「局長もこんなかんじなんですかねえ」 ぎろりと睨めば、ヒッと言って体を竦めた。 「そう思うか」 「いいいいいいえその」 念仏を唱えるみたいに手を体の前で合わせて、ごめんなさい差し出がましいことを等とぶつぶつ呟く山崎に、俺は鼻をフンと鳴らす。 「云ってやれよ、本人に」 「へ」 あんたもこんなにみっともないんだって、あの人もいい加減自覚してほしい。搾り取られるだけ搾り取られて、甘い言葉のひとつもかけてもらえず殴られてるんだから世話はない。 ガラガラと玄関の方で物音が立った。噂をすれば張本人のご帰還だ。 「たーだいまァ」 こちらへ近づいてくるぎこちない足音。ちょっとびっこを引いている。下半身もやられたな。 「今日もひでえなぁ」 原田のうんざりした声が廊下で聞こえる。 休憩室の戸を引いた近藤さんは、中のおれたちにただいまぁと手を振った。片頬はピンクで、ほろ酔いというところだ。もう片頬は青たんと血で染まって拳の形に歪んでいる。コークスクリューだな、見事に決まっている。 手当てしましょうか、と腰を上げた山崎に、近藤さんはいいからいいから、とひらひら手を振った。 「トシにやってもらう。トシー」 呼ばれておれはため息をひとつ吐いて、山崎から救急箱を受け取った。 嬉しいくせに、とほざく総悟の椅子を見えないように蹴って、おれは近藤さんのほうへと小走りで寄った。 近藤さんの部屋、畳の真ん中にどっかと座ると、近くに寄れ、と手で招く。あいているほうの手で薬箱を開けた。 されるがままの近藤さんから着物をはぎ、ふんどし一つにすると眺め回して検分する。 今日の負傷は爪で引っかかれたと思われる切り傷を伴う蚯蚓腫れひとつ、頬と脇腹のごつい打撲二つ、大腿部にでかい擦過傷がひとつ。筋や骨は無事なようだ。 「あんたもつくづく凶暴な女が好きだな」 「なにいってんの、これは暴力なんかじゃない、可愛らしいじゃれあいですよ」 「へえ、可愛らしいねえ」 血のにじむ蚯蚓腫れに消毒液をぶちまけると、近藤さんはギャアと悲鳴を上げた。 「でも、でもよ」 あのネイルなんとかってやつをやった爪でひっかかれたら傷口がガタガタんなって膿んじゃって大変なんだから。切りそろえた爪だとそうでもないのよ。これって愛だって思わない? 滔々と寝言をほざく、近藤さんに俺は吐き捨てるように言う。 「バカじゃねえのか、あんたマゾなの」 「ちげーよ!勲、心はいつだってノーマルですよ!」 心は、だろ。鼻で笑ってやった。 手当ての終わった裸の背中を撫でる。筋肉の見事に乗ったたくましい、俺の知る限りこの世で一番綺麗な身体だ。肩のラインから鎖骨をたどってついとあごを捉える。頬いっぱいに当てられた不恰好なガーゼ。 「おれも、殴っていい」 「やだ。痛いもん」 あの女なら殴られたっていいんだろ。 「なんで俺はだめなんだ」 問えば、近藤さんはさも面白そうに笑った。 近藤さんの左肩の、隆々と載る筋肉にうっすらついている筋、これはおれをかばってできた傷だ。それはほかの無数の傷に埋もれている。だってこのひとときたら一隊士のためにだって命を張る。 どうすればあんたに消えない傷がつけられるのか、おれはそればかりを考えている。でもそんなものがつけられた試しがない、ただの一度も。 そこばかりなぞっていると、よせよ、くすぐったい、と手をどけられた。それから不服を顔に出すおれに、いたずらっぽく前歯を見せる。 「トシは殴んないで。いいこいいこしてよ」 そう云って頭をこちらに突き出してくるものだから、おれは近藤さんの首根っこを掴んで引き寄せた。近藤さんの頭を膝に置くと、抱え込むように両腕で包む。 かれの頭を抱えているうちに近藤さんのいのちを抱いているような錯覚がする。おれより高い体温。整髪料の匂い、それから日向の匂い。ああいつもおれは近藤さんの匂いを嗅いでいると胸が詰まって何もかもがどうでもよくなってくる。 おれは右手でそっとつんつんした髪を撫でた。近藤さんは気持ちよさそうに瞼を伏せている。気持ちいいだろ。痛くないだろ。なんであの女のところに行くんだ。おれならずっと撫でてやるのに。 口元がふっと笑うと、近藤さんは瞼を伏せたままで言った。 「お前の考えてることわかるよ、」 当ててみろ、とは腹立たしいから聞かなかった。わかってたって、喉から手が出るほど欲しがったって、あんたはおれの望むものをくれないじゃないか。そんならわかってないほうがましだと思う。 キスしたいと思ったけれど角度的に難しくて、代わりに瞼や額に、鳥がついばむみたいに口付けを繰り返す。近藤さんが喉で笑って、下から腕がおれの首に回される。ひっくりかえされて啼かされるまで、もういくらもない。 100807 |