ある日ぽかりと眠れなくなる。 悪い夢を見るならばまだいい。亡者も地獄も断末魔も怖くはない。 混濁して失いかけた意識のなか、 底から伸び上がってくるものが幼い自分の泣き声であったり、そこに彼女の面影が掠め、その口元が笑っていることを見て取ったり、 そういう形のない、おぼろな予感が形をとり始め、不安という名前に行き当たったり、 し始めるともううとうともしていられなくなって、自分は布団を蹴って起き上がる。起き上がってかぶりをばさばさ振れば、頭皮がじとりと汗ばんでいるのを感 じて、口の中で舌を打った。 廊下に出れば生暖かい風が浴衣越しに身を包む。すぐに目は闇に慣れる。 ぺたりぺたりと足裏を床板に張り付かせ、引きずるようにして歩く。廊下を二間ばかり渡って角を曲がればすぐに土方の部屋、目的地はさらにその向こう。 歩みを止めれば襖越しにも、ごご、と豪快な寝息が聞こえる。 「近藤さん」 呼びかけは返事を必要としていない。自分だけに聞こえるぐらいの音量で彼を呼んで、おれは襖の取っ手に手をかけた。 薄暗い部屋の、真ん中に敷かれた布団に横たわる近藤は大の字になっている。 豆電球に照らされた近藤の横顔はオレンジがかって、無防備に開けられた口の大きさ、そこから漏れるいびきに、さきほどまで自分を覆っていたひりひりした不快が霧散していくのを感じた。 足音も殺さずに近づくとすぐ傍に膝をつき、彼の腿の辺りに申し訳程度にかかっている布団をひっぱり上げる。ううん、と唸って近藤がこちらへ寝返りを打った。寄り添うように身を横たえる。近藤が八割がたの面積を占めているため、自分の体は半分ばかりしか敷布団に載らなかった。掛け布団を近藤の襟元まで上げて、自分はすっぽりと頭を入れた。 間もなくふとんにこもる、近藤の高い体温、汗と湯上りの石鹸の香り。すうと吸い込んで、おっさんくせぇ、とひとりごちた。 ひとりごちたところで彼が起きる気配はない。もとより一回寝付くと滅多なことでは起きないのだ。 もう少し大胆に、はだけた胸元に頭をすりつけるように寄せる。そうすると自分の身体が近藤の胸の中にぴったりと納まった。 それでも自分は随分と大きくなってしまった。膝も縮めれば全身が近藤の臍のあたりまでに収まっていた、かつての自分の大きさを思い出して、感慨に浸る。武州に居た頃はたまの泊り、近藤の隣で寝るのが楽しみで仕方なかった。日向にも似たこの匂いをずっと嗅いでいたいと思った。 いつまでも近藤の子供でいたかった。けれど護って欲しいわけではない。 護られているのが厭で、彼を護れるだけ強くなろうと、彼をなにものからも護ろうと強くなろうと、するうちこんなに手も足も伸びて筋も付いて、もうひとつ布団には窮屈なぐらいになってしまった。 力強く上下する胸板に、鼻先をもっと摺り寄せる。襟元のあたり、石鹸の匂いに混ざってタールの匂いがほんのりと香った。思い至って、眉をひそめる。 犬でもあるまいし、マーキングでもしているつもりなのだろうか。隣の部屋に寝る土方を蹴っ飛ばしに行きたい衝動に駆られる。 薄目を開けてちらと、顎の辺りをうかがう。張り出た喉仏と刈り込んだ髭。 ふと考える。 かれは、自分が抱いてくれと頼んだらなんというだろうか。 近藤の困惑したような顔が思い浮かんで、おかしくなって笑った。 困惑はしても、迫れば彼は、彼の全てを持ってして、自分の気持ちに応えようとしてくれるだろう。はたまた勃起しないと泣きついてくるかもしれない。半泣きで土下座してみせる近藤を想像して少し楽しくなった。そんなら自分がつっこむ方でもいい。 けれど自分はそんなことはしないだろうとも思う。だってそれでは土方と同じだからだ。 自分は近藤との関係に、そんな始末の悪いものを持ち込まない。 セックスだの恋愛だのを持ち込んだ時点で、好意は純粋な好意ではなくなる。あいつを見ていればわかるように、独占欲や嫉妬に支配されて見返りばかりを求め、いくら注がれても足りなくなる。 頭に血が上って冷静な判断ができなくなったり、くだらない感情に振り回された挙句に不用意に近藤の身を危険に晒すようなことがあれば自分は自分を憎んでも憎みきれないだろう。 だから自分はこれでいいのだ。 それに土方はきっと、近藤のためには死ねない。 ふたりが同時に死の淵に立ったとき、近藤は身を擲って土方を助けてしまう気がする。 そうして近藤の心の臓が止まれば、あいつは途端に糸が切れてしまって敵だって討てないだろう。 自分ならそんなことはさせない。そんなヘマはしない。 いくらも、おれのほうがあンたの役に立つ。 眠気に揺られながら、誇らしいような満たされたような気分でいる。 近藤の規則正しい寝息にあわせれば、だんだんと意識が遠のいていく。 100607 |