綱宵


朝露で煌く、放射状の糸に目を細める。そうして、こんなおかしな感慨に囚われるようになってしまった自分を哂う。

「近藤さん」
自分を呼ぶ声に振り返れば、総悟が濡れ縁からつっかけを履いて庭に下りてくるところだった。
「何か面白いものでも」
肩を並べられたので、ああ、と植え込みと灯篭の間を指差す。
「見事なもんだなと思って」
直径が一尺ほどの大きさの蜘蛛の巣。右端に止まっている蜘蛛の腹は鮮やかな黄緑と白のまだらで、肢にも黄色でだんだらがついている。
「ジョロウグモですねィ」
「へえ、そんな名前なんだ」
これがそういう名前だとは知らなかった。言われてみればどこか遊女のような艶かしさがある。
目を凝らせば巣には、羽虫が何匹かひっかかっているのが見て取れた。
「痛いのかな、食われるのは」
馬鹿馬鹿しい俺の問いかけに、
「さあ。知りませんが」
総悟はちょっと首をひねると答えた。
「クモが獲物を噛むと、麻酔のようになって抵抗が止むと聞いたことがありやす」
「へえ」
じゃあ痛くはないのか。そもそも虫に痛覚があるのかも知らないが、食われることもまた甘美なのかもしれないとぼんやり思う。そう、あいつが俺に望むように。

「おい、何油売ってんだ」
後ろから飛んできた声に総悟とふたり、顔を見合わせる。
先ほど総悟が立っていた辺り、ポケットに手をつっこんだトシが仁王立ちになっていた。
「じき朝礼だぞ」
へぇい、と気の抜けた返事をする総悟のあとを、少し遅れて俺も縁側に上がった。

「夜、行くから」
すれ違いざまに聞き取れないほど低く囁かれた声に、俺は目もあわせずに頷いた。






昼間は涼しい顔をしている。

凛として腕は立つ。副長として采配を振るい、幕府の上層部からも一目を置かれている。俺の尻を叩き、部下を叱咤して、組じゅうの誰もがかれを認め畏れる。

もう十年にもなる。
あいつは陰に日向に黙々と俺を支え、俺は始終女の尻を追い回していた。気づかないふりをしていたという意味で、俺とあいつは共犯だ。始めは思慕の類だったはずのそれが、長い時間をかけて膿み、腐ってしまったに違いない。どこでどう糸が絡まったのか、多分あいつ自身でもわからないはずだ。

思うに、あいつはなんでもよかったのだと思う。俺に傷つけられるのなら、手段なんかどうでも。



夜半時、小さく襖が叩かれる。
短く返事をすれば、声もなく戸が開いた。
部屋の電気は行灯を残して落としてある。俺は読んでいた本からちらとだけ顔を上げ、視線で促す。
トシは目を伏せたまま、まっすぐに俺のそばに歩いてきた。俺はそれを見届けて、緩慢なしぐさで腰を上げる。
差し出された袋を黙って受け取り、中身を無造作に取り出す。手に馴染んだ、なめした縄の感触。

トシは畳に膝をつき、俯いて背を軽く丸めた。
覗いた白い項に、介錯にでもなったかのような物騒な想像が頭をよぎって、それを片頬で笑う。
最初は後ろ手に手首を縛る。それから胸の方へ回し、縄を変える。結び目を作りながら脇を通し、縄を増やしていけば、布越しに鳥肌が立つのが分かる。
「ふ、」
衣擦れの音が立つたびにため息が漏れる。

最初のうちは勝手も分からず恐る恐るだったけれど、だんだんとこつがわかってきた。
締め上げれば、骨の軋み、食い込む肉の感触が手に伝わる。筋だけは痛めないようにと、少しは勉強もした。
本人はきついのを好むようだが、あまりやりすぎても怪我をするので手加減が難しい。

膝を畳み、足首を結ぶに至って、上がりきった呼吸がおぼれた人間のようになる。事実溺れているのに間違いはない。
触れてもいない前ががちがちに突っ張っているのが可笑しい。からかうようではなく、呆れたような口調で言ってやる。
「今、人来たらどうすんの」
「う、あ」
押し殺した声が揺れる。
「こんなところ見られて、どう言い訳するつもりだ」
わざと意地悪くせりふを選べば、
「そんな、や、め、」
抗う言葉は、熱に浮かされたように弱弱しい。トシが頭を振るものだから、帯を口に回して、轡のようにかませてやった。
紅潮しきった頬と潤んだ瞳で、どれだけこいつが悦んでいるかがわかる。

俺はわざとゆっくり身体を離し、腕を組んでトシを上から見下ろす。
「俺がこのまま出て行ったら、どうなっちまうんだろうな」
「ん、う、」

いびつだ。俺たちはきっと今誰よりもいびつだ。
たまに、気が狂いそうなもどかしさに襲われることがある。よほど身体をつなげた方がまともだったのじゃないかと。


それでもこの瞬間、俺たちの間には着物と縄と無数の拘束があって、その距離の向こうでトシの肌が汗ばんでいる。

苦しいか、
と尋ねる。自分の声が甘く聞こえるのに愕然とする。
こうして今日も、俺はこいつに小さく死を与える。


トシの、晒した喉がぶるりと震えた。






100310
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(企画お題・『綱酔い:緊縛されること自体に陶酔すること』)
ご協力ありがとうございました!!^^