中庭の方で、わっと歓声が上がった。昼休みの中庭では別に珍しいことじゃない。 続いて、ぎゃー、とか嘘だろ、とか、囃し声に混じって気になる名前が飛び出したから、進路を曲げて足を向けてみた。 「なんだ、トシの話か?」 「ああ、局長」 顔を出した俺に、隊士たちはめいめい顔をひきつらせている。不思議に思って促すと、 「ちらっと見ただけなんですけど」 言いづらそうに前置きする。他の隊士が早口で説明した。 「こいつが、こないだの水曜、ホテル街で男連れの副長を見たっていうもんだから」 「や、ほんと本人じゃないと思いますけど」 指をさされた彼は、かき消すように体の前で手を振ってみせる。 「背格好が同じで、紺の格子柄の羽織だったもんで…」 どこにでもいますよね、とフォローをするが、俺は少なからず動揺していた。 「第一副長が衆道とか、それはないでしょう」 「だよなぁ」 笑い飛ばす彼らの会話は、もうしっかり耳には入っていなかった。 それが「ある」から動揺しているのであって。俺は男はトシが初めてだったけど、トシはどうだかわからない。こういう関係になってもう半年くらい経つが、考えてみたら初めてのときからあいつは抵抗が少ないようだった。俺の前に誰かそういう関係の男がいたとしても不思議はない。そのテの人種は貞操観念が薄いと聞く。たまたま再会して、何の気はなしに誘われたのだとしたら? 俺とトシは男同士とはいえ、お互いまじめにつきあっている。 トシは俺が女相手に鼻の下を伸ばせばやきもちを妬くし、女の恋人みたく扱われたがっているようだったから、俺は勝手がよくわからないながらもそのつもりでつきあっていた。それにあいつは満足しているみたいだし、元々そのへん、あいつは潔癖なところがあるから、俺以外の、女ならまだしも、男になんて肌を許すはずがない。 そう思った。そうは思ったけれど、一緒になって笑い飛ばせるほど俺にも余裕があるわけじゃない。 「…局長?」 「大丈夫ですか」 黙り込んだ俺を気遣ったように囲む彼らに、からからと笑ってみせる。 「おお!だ、大丈夫だぞ」 全く誤魔化せていなかったらしい。隊士たちは顔を見合わせ、肘でこづき合い始めた。 「ほら、お前が変なこと云うから…」 「お前こそ…」 俺は頭をかいて後ずさると、そのままぎくしゃくとした足取りでその輪から抜けた。 「ちょっと出ないか」 夕飯をすませ、食堂から出てきたトシを待ち伏せて、真横から声をかけた。 食堂にはまだちらほら平隊士が残っている。逢い引きを誘うのには決していいタイミングとはいえないだろう。 トシはびっくりしたように少し目を丸くして、それからいぶかしげに聞いた。 「どこに?」 「散歩だ、散歩」 返事を待たずに踵を返す。少しの逡巡のあと、遅れてトシの足音がついてきた。 夜になるまで悶々と考えたけれど、このままくすぶっているよりはさっさと本人に真偽のほどを確かめた方がすっきりすると思った。それで多少強引にでもトシを連れ出すことにした。 屯所を五、六町ばかり離れ、笹藪が茂る石垣を歩く。 人気のない、小さな神社へ続く道だ。 すっかり辺りは闇に覆われ、晩夏のなま暖かい風が草いきればかりを運んでくる。 ごほん、とトシが咳払いをした。これだけ離れたらもういいだろう、云いたいことがあるなら話せ、という合図だ。俺は緩やかな歩みを止めないまま、背中で云った。 「なあトシ」 俺がこうして歩きながら話すのは、顔をまっすぐ見れないからだということを、たぶんこいつはちゃんとわかっているのだろうと思う。 「なんだ」 「お前さ、先週のオフの日どこ行ってた?」 少し考えたような沈黙があって、それから唸るように答えた。 「…よく覚えてねえ。そんな変わったことはした憶えはねえが」 やましいところはなさそうな口調だった。俺はちょっとほっとしてようやく立ち止まり、トシのほうを振り返った。視線はまっすぐ俺の方を見ている。 「なんでそんなこと?」 「…いや、その、ちょっと小耳に挟んだもんで」 「何を?」 バツが悪くて言いよどむ。 「その、お前に似たやつが…」 顔色を確かめるように、のどを鳴らしながらぽつりぽつりと続けた。 「男といるとこホテル街で見たって、噂、聞いて」 トシは、は、と鼻で笑って肩をすくめた。 「そんなくだらないことを聞くためにこんなとこまで俺を連れてきたのか」 馬鹿にするみたいな語調だったから、俺はちょっとムッとして言い返した。 「いや、くだらないって云うけど、トシ、」 トシは整った顔してるから俺を選ばずとも男受けもいいんじゃないのかとか、俺のセックスはお世辞にも巧くないから満足してないのじゃないかとか、俺にも人並みにそういう不安はある。 両肩を掴み、真剣な顔でのぞき込むと、急にトシの顔が強ばった。 「、あんた、本気で疑ってたのかよ」 みるみる血の気が引いていく。激しく体を捩って俺の手をふりほどいた。 「おれが、あんた以外の男と寝たって?ッ、ふざけんなッ」 俺は言葉を詰まらせた。トシは殺気立っていたけれど、長いつきあいでこれが怒りからじゃなく悲しみから来る口吻だということを俺は知ってる。 こんなつもりはなかった。俺はこいつを悲しませたかった訳じゃない。 しばしの沈黙。声をかけあぐねていると、トシが弾かれたように面を上げた。 眼は潤み唇は血が滲むまで噛みしめられている。 「どうすればあんたは信じてくれる」 開かれた口から掠れた声が漏れる。これは悲鳴だ。 「指でも、首でも、なんでも、」 「トシ」 皆まで云わせたくなくて遮った。胸がずくんと痛む。俺はやるせなくてたまらず首を振った。 「切って、持って行けば」 「やめろ!」 無意識に平手が飛んでいた。トシの体がぐらりと揺れて、その場にへたりと膝を落とす。 「冗談でも、んなこと云うんじゃねえ」 荒い息の下からそれだけ云うと、トシはきっとこちらをにらんだ。 「だって、近藤さん」 「だってもくそもねえ!」 怒鳴り返すと、ひくりと背中が跳ねた。 俺はきっと言葉が足りない。けれどこんなときなんて云ったらいいかわからない。 俺は器用じゃないから、どうやっておれとこいつの間のこんがらがった糸を解けばいいかがわからないんだ。 「おれには、」 いかった肩ががくがくと揺れる。泣き声がしゃくり上げながら言葉を紡ぐ。 「おれにはあんただけなのに」 「トシ、」 トシはそこまで云うと俯き、喉をひきつらせた。 腰を落とし、伸ばした手が大仰に振り払われる。俺は正面に座り込み、かまわず力ずくで抱きすくめた。 大事にしてやりたいと思う。 自分を投げ出すようなことをわざというこいつに、俺はときどき苛立ちを抱える。 自分を俺の付属物みたいに考えないで欲しい。 みっともない焼き餅を妬くのも、子供じみた独占欲が働くのも。 みんなお前をなりふり構わず想っているからなのに。 やり方は違えど、俺も同じだけお前を想っていることを、どうしたら伝えてやれるんだろう。 「トシ」 「トシ、こっち向け」 いやいやをするように顔を背けるトシの後頭部を掴み、かみつくみたいにして唇を寄せる。 前歯がかすって、鼻にかかった泣き声が抜けて、舌を捕らえてはじめてようやく抵抗が止んだ。 もどかしい。言葉で足りないなら抱く。抱いても駄目ならそれじゃあどうすればいい。 お前が望むならなんだってしてやるのに。長い長い口づけの間で俺は祈るように想う。 腕の中の体躯が小さく軋んだ。俺はこいつを壊したいわけじゃないのに。 |