フェイド・ミー・アウト


『ほんとに哀しいときは、ひとりでいたい』

もうどれだけ昔のことだろう。
トシが低い嗚咽交じりに言ったそのせりふを、俺は今でも覚えている。
遠征に来た隣町の道場で腕の立つ師範代に打ち合いで負けて、何度食い下がっても打ちのめされ、ついには昏倒したトシは息を吹き返すなり、介抱していた俺に向こうへ行け、と云ったのだった。


あれから、あいつが哀しくて泣くのを見たことがない。




大股で車両に乗り込んだ総悟は、速足で窓際の席にちょこんと陣取った。それから俺を手招く。俺は苦笑いをしながら隣に座るべく続いた。
三両編成のローカル線は今時分がらがらで、同じ車両には行商人の老婆と学生らしき若者しか乗っていない。

短くくぐもったアナウンスの後、ゴトンゴトンと列車が動き出す。窓の桟に肘をつき、遠目にじゅうたんのように続く菜の花畑を眺めていた総悟が、堪えかねたように小さく舌を打った。
「あいつ、今年も来ねえでやがる」
まあまあ、そう云うなよ。と宥める。
「仏花はあいつから預かったんだぜ」
今朝早く託されたのは黄色が基調の、ミツバさんによく似合う可憐な花束だった。
「なんで自分で来ねえ。姉上のことなんかどうでもいいのかィ」
俺は諭すように首を振った。
「そんなことねえ。トシはミツバさんのことをずっと忘れないよ。きっとずっと、最愛の女性だ」
すぐ傍で見ていればわかる。あいつがどれだけ彼女のことを大事に思ってきたか。どれだけ深く胸に刻みつけているか。そして忘れないようにその傷を抉っているか。
総悟は、ほんとですかね、と不機嫌そうにぼやく。
「それにしては葬式でだって泣いてなかったですぜ」
「泣いたよ」
「見たんですか」
「見てねえけどさ。目は腫らしてたぜ」
総悟はもうそれ以上言い返さず、視線をすっかり窓のほうへやってしまった。俺は腕を組んで目を伏せる。軽くまどろみ始めた頃、総悟が小さく呟いた。

「鬼の目にも涙、か」

総悟の漏らしたせりふが、俺の頭にぽつりと落ちて染みになった。





仏間に人影を見つけて、俺はそっとふすまの陰から伺った。案の定それはトシで、うつむいて手を合わせる、眉間には深い皺が寄っていた。
声をかけあぐねていれば、こちらに気づいたトシが部屋からついと出てきた。俺はただいま、と早口で言った。
「行ってきたぜ」
「ああ」
「お前の選んだ花、よく映えたよ」
「そうか」
会話が途切れてもトシがその場を離れようとしないので、俺は遠慮がちに申し出た。
「一杯やるか、」
トシは無言でこくりと頷いた。



トシの部屋に秘蔵の焼酎とつまみをいくらか持ち込み、彼女の思い出話をぽつりぽつりとする。俺の話をトシが少しばかり訂正したり、トシの話を俺がからかったり。こうしてレコードを再生するように、何度も彼女を辿る。時折低く笑いも漏れた。穏やかな夜だった。

「いい女性だったな」
しみじみとそう云うと、
「ああ、あんな女は、二度といない」
トシはぐいとコップを煽る。ゆらりと、上げた顔は酒で紅潮していた。伸ばされた腕が俺の袷をつかみ、引き寄せようとしてうまくいかず、どさりとこちらへ上半身が倒れこんだ。
「なあ近藤さん、おれは、」
トシはため息に似た、酒臭い呼気を大きく吐き出した。
「もう誰も、好きにならない」
それは嘘だ。こいつが何をかき消そうとしているのか、俺にはわかる。わかってはいるけれど、こいつが認めない限りそれはほんとのままでいる。だから俺は頷いてやる。
「うん」
「ほんとだ、」
「うん、」
やるところがなくて肩に手を、そっと置いた。そっと盗み見たトシは泣きだしたくても泣きだせない、そんな顔をしてた。ひとりじゃないと泣けないこいつがただ哀れだと、そう思った。
「なあトシ」
俺にできることなんて何も無いのかもしれない、でもせめて。
「お前が泣くとき、俺を傍にいさせちゃくれねえか」
トシの目が呆然と見開かれる。俺はゆっくりと続けた。
「俺は、お前がひとりで泣いているのを思うと辛い」
「やめろ、」
言い終わらないうちにトシは俺のせりふをさえぎり、大きくかぶりを振った。

どん、と胸板が叩かれて上半身が離れる。
「出てってくれ」
面ごと視線をあさっての方向へ逸らす、唇は震えている。顔からは血の気が失せていた。優しくするなと、身振りの全てが訴えていた。
「あんたもわかんねえ男だな、察しろよッ」
俺は答えずに首を振った。
「出てけってば、」
「ほんとか、」
トシの着物の襟足を掴み、力ずくで引き寄せる。
「ほんとにひとりでいたいか」
目交いで瞳が揺れる。トシが息を呑んだのがわかった。しゃくりあげたそれが嗚咽になるのに時間はかからなかった。

「後生だ、おれのまえから、」
消えてくれ、と吐きだした、語尾はひしゃげている。悲痛な叫びだった。そんなふうに訴えられて胸が疼かないはずもない。そうだこれは俺のエゴだ。そんなのはわかっている。

それでも俺より、俺に消えろというこいつのほうが辛いんだ。
力まかせに抱きしめれば抵抗はゆるゆると止んだ。それでも背中は強張っている。
馬鹿野郎。消えてなんかやるもんか。







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(企画お題・『鬼の涙』『消えてくれ』『嘘』)
ご協力ありがとうございました!!^^