ゆのはな心中


「なに、その曲」
トシは答えずにそのまま吹き続ける。多分本人も知らないのだ。
愉快な曲ではなかった。どこか淋しい旋律がトシの細くお世辞にも上手とはいえない口笛と相まって物悲しい。
ごうと風を切って、ホームに列車が滑り込んできた。


ひなびた温泉宿のペアチケットを原田が商店街の福引で当ててきて、一緒に行く彼女がいないとかでちょうどその日が非番に当たっていた俺たちに譲ってくれるという。山崎なんかも、普段お疲れでしょうから、とスケジュールの調整をやりくりしてくれて、組の連中総出で送り出してもらった。

目的地は聞いたこともない駅だった。二回目に乗り継いだ、ローカル線は北上するに連れだんだんと空いて、乗り込む客も減っていく。
対面のシートでこちらへ無遠慮に足を伸ばす、トシは窓枠に肘をつきずっと外を見ている。
「田舎だな」
身もふたもない感想に、うん、と頷く。窓の外は緑と紅葉の黄色にたなびいている。陸橋に車体が小刻みに揺れる。四角の形に切り取った風景と、箱の中に押し込められたみたいな俺たち。トシの膝頭が少しだけ触れ合う。ボックス席は妙に狭く感じられた。


駅に降り立てば木枯らしがびゅうと吹き抜けた。標高のせいか屯所を出たときより随分寒く感じられる。
駅前には数件の土産物屋、食堂の類があるきりで、バスロータリーは閑散としていた。
「迎えのバンをよこすっていってたのにな」
交番脇の観光案内図を見れば目当ての宿はここから山道を暫く登ったところにあるようだ。見上げれば急な勾配にうんざりする。
「仕方ない、歩くか」
方向を確認していると、坂道を紺のワゴンがこちらへ下りて来た。俺たちの脇まで来るとパワーウインドウが下り、はっぴをきた中年の男が顔を出した。
「はなの湯のお客様ですか」
「ああ、そうです」
返事をすればあわてて車から降り、ぺこぺこしながらサイドのドアを開けた。
「遅れてしまって申し訳ありません」

八人がけのミニバスに通されて、他に客もないので一番後ろに座る。
「ご兄弟ですか?」
気安く話しかけられ、あー、と俺は言葉を濁す。
「その、上司と部下です」
大の男二人というのも珍しいのだろう。その辺が妥当だし、第一嘘は言っていない。
「ははぁ。いいですねぇ、出張の帰りとか?息抜きになりますよねえ」
適当に相槌を打っていると、トシが隣で舌を鳴らした。
「上司と部下、かよ」
「ん」
「コイビトどーしです、ぐらい言ってやれよ」
「ちょ、トシ」
運転席の肩がびくんと跳ねたので、俺は小声で嗜めた。ミラーの中で男は引き攣った笑いを浮かべている。居心地が悪くなって俺は膝の上で拳を握った。トシは不愉快そうに窓の外を睨んでいた。


車で山道を行けば十分もかからなかった。こじんまりとした古い宿だ。
木彫りの民芸品が並ぶフロントで受付を済ませる。
立てかけられている黒板を見るだに、俺たちのほかに客は団体が一組ぐらいしかいないようだ。
部屋に案内されて、一通り館内の説明を受ける。部屋はお世辞にも広くはないがたたみの匂いは新しい。窓からは深く色づいた一面の紅葉、渓谷が良い眺めだった。会釈をして女将が去ると、俺は荷物をぼすりと部屋の隅に放った。

「トシ、温泉入ろう」
露天風呂があると聞けば厭が応にもテンションが上がる。収納から旅館の名前の書かれた浴衣と帯をひっぱりだして脇に抱えた。さきほどからずっと、ぶすっと しているトシはまだ荷物を肩から下ろさない。
「トシ、行かないの」
掲げた浴衣を乱暴な仕草でぶんどり、トシは自棄になったように唸った。
「行く」



団体客と入れ違いだったので、風呂場は貸切状態だった。森の香りとひんやりした空気が気持ちいい。
「くうーっ」
かけ湯をして足を踏み入れれば、染み入るような温かさに思わず声が出た。やっぱり温泉は格別だ。湯は白濁していてゆのはながちらちら浮いている。入り口のところに関節痛に効くだの何だの効用が書いてあった。源泉汲み出しだって。
「いい湯だな、トシ」
思わず鼻歌でも歌いそうになって、トシに同意を求めるけれど、頭にタオルをのっけたトシはつんとあさってを向いている。
さすがにむっとした俺は、ばしゃばしゃ水音を立ててすぐ傍まで寄った。
「お前さぁ、俺と温泉、楽しくねえの」
俺は結構楽しみにしてたんだけど。そんなにぶーたれられると傷つくんだけど。俺こーみえて結構繊細なんだけど。並べ立てても、トシは目を合わせてもこな い。
「なんだよ、黙ってちゃわからねえよ」
こいつのこういうところ悪い癖だ。強く促せば、やっとかみ締めていた唇を開いた。
「……なんで上司と部下なんだよ」
「へ」
ちょっと考えて、車の中での会話を思い出す。俺は思わず噴きだした。
「なんだ、そんなつまらないこと気にしてたのか」
「つまんなくなんかねえ」
トシはばしゃ、としぶきを上げて中腰になった。
「仕事中でもない、知り合いの目もない、こんなとこだけでも、俺はあんたのコイビトんなれねえの」
いや、そんな深い考えがあったわけじゃないんだけど。勢いに押されて目を丸くする。
「アンタ、普段からおれがどんだけガマンしてるか知らねえだろ。アンタは相変わらずお妙追い回して、女とみれば粉かけて、おれとはセックスしたって睦言一つ囁かねえ。扱いは総悟や組の奴らと大して変わりねえし、しょっちゅう邪魔が入ってあんま二人きりになれねえし、」
一気にまくし立てて、そこでぶつりとセリフが途切れた。
「お、おい」
急に静かになったトシにおそるおそる声をかけると、上体がぐらりと傾いた。
「ぎゃ」
ばしゃん、と水音を立てて倒れてくる身体をすんでのところで受け止める。頬はゆでだこみたいに真っ赤になっていた。



すっかりのぼせてしまったトシを支えて部屋に戻る。
布団をひっぱりだしてきて、横にしてやる。ろくにものもいえないような有様なので、水を汲んできてやった。ひとくち飲ませて、フロントで借りてきたうちわで仰ぐ。
窓の外では日が翳り始め、紅葉がさらに深い色に染まる。金色に輝く山の稜線が刻一刻と細くなる様をぼんやり眺めていれば、気づいたときには部屋は真っ暗になっていた。

電気を付けようと膝を立てると、トシが低く呟いた。
「……か」
「ん?」
聞き取れずに耳を寄せれば、顔をこぶしで覆ったまま、今度ははっきり言った。
「あんた、おれと心中できるか」

ばかだな、と俺は鼻白む。
「心中なんてなにがいいんだ」
死んじまったら何にも残らねえじゃんか。幼子に言い聞かせるように諭せば、トシは耳を塞ぎ、烈しく頭を振った。シーツがよれる、衣擦れの音。
「理屈が聞きたいんじゃねえ」
トシの声は割れていた。
「あんたがおれと死んでくれるか知りたい。あんたがおれ以外の全部を捨てておれを選んでくれるか」
知りたいだけだ。喘ぐような訴えに鼓膜がじんとする。
トシと、トシ以外の全て。どちらかを選ばなければならないのなら。その答えをお前が迫るなら。頭で考えるより先に、腕が伸びていた。喉元に両手を当てればトシは息を呑んだ。押さえた喉仏が上下する。潤んだ目がすうと伏せられ、睫が震える。
それは今まで見たどんな貌よりも恍惚としていた。これが最期に見られるなら悪くはない。






一時間に一本の列車を待つ。晩秋の空気は静謐で冷たい。りんと澄んでいる。
二人で並んで駅のベンチに腰掛けている。俺に寄りかかる、トシはまだ眠そうだ。
寝ぼけたような声がぼやいた。
「あんたを殺しておれが死ぬんでもよかったんだ」
「うん」
「でも、それだとおれひとりでも出来ちまうから、」
「うん」
その後を続けるつもりはトシにはないようだった。俺はトシの髪をついと梳く。
戯言を戯言のままにするのも、いつかどこかで現実にするのも、どちらにしろ俺たちの終わりは一緒なのだから、さして違いはないような気がする。
初めて会ったとき、俺はこいつとなら何でもできると思った。あの感覚はまだ俺の中に生きている。
「痕、残ったな」
指を滑らせて首筋に赤く散っている痣をなぞる。
「嬉しいか」
尋ねれば、うん、と子供のように素直に頷いた。
「うれしい、」
俺は襟元にマフラーを合わせてやった。ようやく電車の到着を知らせるアナウンスが流れ始める。







091122
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(企画お題・『温泉で心中ごっこ』『どーしようもないグダグダな二人』『ロードムービーみたいな』)
ご協力ありがとうございました!!^^