力弱くなった日暮の声がわんわんと鼓膜を覆う。もうじき夏も終わる。 肌に張り付く外気も盛りの頃と比べると幾分和らいだ。 部屋に差し込む陽はだんだんと傾き始めている。かといって中腰になって頭上にぶら下がる電灯の紐を引くのも億劫だ。 自分はぼんやり、隊服の袖の黒が橙に染まっていくのを眺めていたが飽きが来た。 上体を反らして後ろの畳に手を付くと、隣に転がる近藤の方へと顔を近づけた。 時折ごおという寝息が立つ、さきほどからすっかり寝入ってしまっている。 昨日は溜めに溜めた決済文書と一晩中格闘したのだと聞いた。そのまま午前は会議に出かけ、帰ってきたところで糸が切れたらしい。 脱ぎかけのベストは腰のあたりに蟠り、シャツの前ははだけて胸板が露になっている。普段は刈り込まれている髭が心持ち伸びているのをまじまじと観察する。ぽかりと無防備に開いた口にそっと拳が入るか試そうとしてみたり。 まじまじ見れば鼻筋は通っているし顔立ちは精悍の部類に入る。ゴリラと形容されがちだけれど黙っていれば悪くはないと思う。そんなこと決して本人には言ってやらないけど。 縁側で背中を見せ原田となにがしかを喋っていた土方が、用事が終わったらしくこちらへと畳を軋ませてきた。 「やれやれ、まだ起きねぇのか」 座卓越し、向かいにどかりとあぐらをかいた土方は机上の灰皿を手前に寄せてソフトケースを胸ポケットから取り出した。 八畳の幹部寄合室には自分と土方と眠っている近藤の三人きり。あとは水飴みたいな空気がみしりと自分たちの間を埋めている。 土方のほうを見る気になれず、引き続き近藤をじっと窺う。筋張った立派な手、がっしりした肩、上下する厚い胸板。たぶん自分は一日でも近藤を見ていられるだろう。このひとが息をするのを見るのは訳もなく嬉しい。 縁側から、濃い緑の匂いをはらんだ風が一陣通り抜ける。そそのかされたみたいに声帯が震えた。俺は。 「このひとが好きですぜ」 口に出せば気恥ずかしさよりも、その真実が重く熱く身のうちに感じられて、息苦しくすらなった。 「なんだ、出し抜けに」 土方は低く笑った、けれど莫迦にしたようではない。何を今更、という含みに聞こえた。 「土方さんは、」 名前を呼べばやっと土方がちらと視線を上げる。自分はそれにかちりとまなざしを合わせる。間も抜けていて身も蓋もないけれど、けれど肝心なことだ。 「俺よりこのひとが好きですか」 土方は紙巻を燻らせながら二度瞬いて、それからふと瞼を伏せた。 「どんだけ好きだって、」 脇を向いて、ふう、と長く吐き出した煙は薄く掠れていく。 「選ぶのはこのひとであって、おれたちじゃねえだろ」 負け惜しみのようなそのひとことは、けれど自分にもよく理解が出来た。 自分も土方も伸ばされた手を取っただけであって、そして伸ばされなければたぶん見向きもしなかったということが、見えない楔となって自分たちを傲慢から遠ざけている気がする。 拒みはしない、きっとこのひとはどんな理不尽だって受け止めてくれる。それがわかっているからこそ自分からはぶつかっていけない。 それなのに物足りないと思う。いつまでも愛されたりない子供で、強請りもしないで満たされるのを待っている。そんなのは浅ましい、さすがに自覚もある。 もう一陣、今度は砂っぽい風が吹いて目を眇めたら、急に強い既視感にとらわれた。否これは古ぼけてはいるけれど確かな記憶だ。まだ自分の身長が半分ぐらいだった頃の。 俺のほうがずっと近藤さんを好きだと、土方に食ってかかったときに、やはり同じようなやりとりがあった。確か土方は、好きでいたら同じだけ返ってくるなら世話はねえ、といった内容のことを云い、自分は意味を正しくは酌めなかった。こいつはあのときと同じ眼の色をしている。 おびただしい、朝と血と悲劇を経ても、 あれから俺たちは何にも変わっていないんだ。そう思ったら不快と安堵がないまぜになったような変なむずがゆさが背中を走る。 見計らったようなタイミングで近藤が、んご、と鼻を鳴らした。強張っていた場の空気が霧散する。 これだから敵わない。顔を見合わせた俺たちは苦く笑った。 部屋はさきほどよりも濃い紅に侵食されていて、その先には宵闇が今かと待ち構えている。 090902 |