その時、俺の苛々は頂点に達していた。 禁煙をはじめてから三日目。ニコチンが不足しているせいで、絶えず何かを口に入れていないと落ち着かない。かわりに飴をなめているのだが、その程度で煙草を失った渇きが癒されるはずもなかった。 禁断症状とはよく言ったもので、苦痛は波のようにひいて小康状態を保っては、暫く後に大きな反動となって襲いかかってくる。持ち前の根性と精神力で堪えているが、いずれ限界が訪れることは目に見えて明らかだった。 「山崎ィッ!」 「は、はいっ!はいっ!」 呼ばれた男が、ドタドタと足音を立てながら駆け寄ってくる。近くの部屋に控えていたのだろう。呼ばれてから三秒と立たずに襖を開けた。はあはあと息を荒げながら正座しているその頭を軽く小突いて、顔を上げさせる。 「禁煙パイポ買って来い」 「はい?」 「だから、禁煙パイポ買って来いって言ってんだよ」 「あの…、一つだけ言ってもいいですか?」 「ナンだ?」 「禁煙するならニコチンを微量に摂取するガムとか、煙草が不味くなるサプリとかの方がいいと思うんですけど」 「ああ?何言ってんだてめぇ。禁煙っつったら禁煙パイポだろうが。オラ、さっさと行ってこい。店にありったけ買ってこいよ」 面倒なので懐からとりだした財布をそのまま投げ渡すと、山崎が震えながら受け取り小走りで部屋から姿を消した。俺はその後ろ姿を見送ることなく襖をぴしゃりとしめて、副長の仕事に戻る。机の上に積まれた決済書類は普段よりも量が多い。仕事量が増えているのではなく、俺の処理速度が落ちているのだ。これまでは部屋の空気がうっすら不透明になるほど煙を噴出しながら仕事をしていたというのに、突然、きっぱりさっぱり煙草をやめてしまったせいでろくに集中できない。 副流煙だ何だと文句をつける連中とは別室なのだし、自分一人でこの部屋に籠もっている限りは嫌煙だろうが禁煙だろうが無縁の話だと思っていた。そう、自分と煙草は決して縁が切れることのない関係だと思っていたのだ。 つい数日前までは。 「トシ、禁煙しないか?」 「うん」 朝一番切り出された近藤からの提案に、俺は一も二もなく頷いていた。眩しいほど爽やかな笑顔に逆らえるはずもなかった。それどころか、近藤のみている前で自分が持つ煙草の在庫を全て捨て去った。あとで回収しようかとチラリと考えなくもなかったが、沖田がすかさずそれらを廃棄の生ゴミへと投げ入れてしまったので復活は不可能となった。 「畜生、怠いぜ…」 煙草が平然と吸えた生活が懐かしい。仕事机に頭を乗せると、染みついた愛煙の匂いがした。それだけで胸が苦しくなる。これが禁断症状だと言うなら、俺は余程の重症なのだろう。だが大事な人と禁煙の約束をした手前、今度ばかりは煙草に手を出すわけにはいかない。 相変わらず仕事の能率は上がらず、十分に一度は煙草が恋しくて暴れ出しそうな体を宥めていると、忘れたころになって山崎が帰ってきた。 「山崎退、ただいま戻りましたっ!」 「遅い!」 副長室へと走って戻ってきた山崎は両腕に山ほど小箱を抱え、俺が貸し与えた財布を口にくわえて戻ってきた。まるで犬のようだと思いながら、ふうふう言っている口から財布を抜き取った。くわえていた場所に歯形がつき、唾液で濡れている。無言でそれを山崎の制服で拭い、机の上に放り出した。今はこんなことで一々腹を立てている場合ではない。 「おう、買ってきたかよ」 「店にあるだけ買い占めてきました」 どうせ近所のコンビニにでも行ってきたのだろうと思いながら、山崎が抱えている箱の一つを抜き取りろくに中身もみずにパッケージを破って一本取り出し口にくわえた。細い筒状の代用品が唇に収まると、馴染んだ形であるせいか、飴を舐めているときよりは精神が落ち着きを取り戻す。 「……?」 妙な違和感を感じたのは、口に禁煙パイポをくわえて暫くしてからの事だった。山崎は大量に買ってきた小箱を、律儀に部屋の隅に積んで重ねている。その箱のパッケージ柄が、俺の知る絵柄ではないような気がした。不審に思い手の中にある箱をちらりと見る。 「……ッ!ココアシガレットじゃねえかッ!」 それは禁煙パイポなどではなく、駄菓子屋で売っている甘いシガレットだった。思わずガリリと奥歯でかみ砕き、ココアシガレットで山を築いている山崎の髪を掴んで強引に引き寄せる。鼻先が触れ合うほど間近に顔を寄せ、唇に残っていたココアシガレットを吐きつけた。 「てめえ、わざとか?」 「ああ、ああの、よし野に禁煙パイポがなくて」 「駄菓子屋にんなもんがあるか!」 「ひぃぃ、すいませんすいません」 身を縮めて逃げたがる動作を許さず、先程より強く前髪を掴んで顔を持ち上げた。怯えの余り目尻に涙を滲ませている男の頬を、ぴたぴたと指先で叩く。 「山崎ぃ、覚悟はできてるな?」 「ああああ、ああっ」 「歯ぁ食いしばれッ!」 そのまま何度か往復ビンタをかました。拳で殴らなかったのは、万が一にも手を痛めては今後の仕事と任務に差し支えると思ったからだ。山崎への優しさや甘さなどでは断じてない。乾いた音を何度か室内に響かせた後、掴んでいた前髪を離し、買ってくるものを間違えた部下を解放する。 「……ぁ、……っ、あ」 山崎は俯き、身を縮めて小さく呻っていた。この程度で泣くとは情けない。仮にも刀を持つ者としてどうかと疑問にすら思う。 「おい、山崎?泣いてやがんのか?」 本当に泣いていたら今度は本気で殴るつもりで、踵で山崎の頭を小突くと、顔を真っ赤にした山崎が俺の脚に組みついてきた。咄嗟に反応がとれず、尻餅をついてしまう。自分の反射の鈍さに舌打ちをしてふりほどこうとしたが、山崎は俺の脚にしがみついたまま離れようとしなかった。 「なっ、おい、どうした」 「……っと」 「……あ?」 「もっとしてくださいッ!」 そこには鼻息を荒くして目を充血させた山崎の姿があった。何を間違ったのか、ごそごそと制服のズボンと下着を脱ぎはじめている。やめろ、脱ぐな。むしろ何故脱ぐ必要がある。勃起して充血したナニを俺の脚に擦りつけるのはやめろ。お前の行動の意味が分からん。 「はなっ、はなせっ!この変態ッ!」 力尽くで引き離そうと、残る片足で山崎の頭や肩を蹴ったが、普段は大人しい男は一向に俺の脚から離れようとしなかった。それどころかますます股間を硬くして、挙げ句、泣きながら覆い被さってきた。 「すいません、すいません、勃っちゃったんです。すいません」 「すいませんで済む問題じゃねえ、こら、待て、離せ、俺には近藤さんがっ!」 ええいままよとばかりに股間を蹴り上げたが、山崎はなおも昂奮を露わにするばかりでまるで効果がない。それどころか得体の知れない粘液で制服のズボンが汚れた。ぬるりとしたそれを今度は素足に擦りつけられて、意識が一瞬遠くなる。次の刹那、山崎の顔が超至近距離にまで接近した。 「……っ!」 それがキスなのだと気が付いたとき、俺は錯乱のあまり正気を手放した。 一時間後。 なんとか大事な部分を死守した俺の足下には、白濁にまみれた山崎が意識を失い転がっていた。 「誰が片づけるんだコレ……」 遠い目をして、ココアシガレットを唇に挟む。山崎が満足して俺から離れるまで股間をふんで電気按摩を続けた苦い記憶が脳裏にフラッシュバックした。それらの記憶を全て抹消しようと、前歯で軽くシガレットを囓る。口の中に仄かに甘い味が広がった。 忘れよう。往復ビンタで発情した山崎も、そんな山崎を踏んで意外と楽しかった俺も。どちらも忘れてなかったことにしよう。 カレンダーの日付をみると、4/1となっていた。丁度良い。エイプリルフールの嘘ということにしておこう。 俺はそう都合良く結論を着けると、室内でまだ震えている山崎を置きざりにして、汚れた体を洗いに風呂へと向かった。 |