甘い喪失



「トシ、」
自分を呼ぶ声に意識が掬い上げられる。
瞼を持ち上げれば暗闇のなか、壁の向こうから再度近藤さんの声が聞こえた。
切羽詰ったような声音に掛け布団をめくり、裾をさばいて立ち上がる。
「どうした、近藤さん」
ひとつ返事をしてから駆け出し、戸を引くのももどかしく、隣の部屋に飛び込んだ。

布団から起き上がった姿勢でいた近藤さんはおれの姿を認めて何度も瞬きをし、それから両手をこちらに伸ばした。

促されるままに近寄り、布団の脇に膝をつく。
「ど、う」
どうしたんだ、と問う暇もなく、おれは彼に組み敷かれていた。
背中を布団に押し付けられて、驚いて彼の表情を伺おうと目を凝らすけれど、
「トシ、」
その間もなく近藤さんが喉笛に喰らいついてきた。犬歯が掠る感触に息を呑む。
覚醒したばかりで僅かに鈍い身体の感覚がきつく甘く研ぎ澄まされて、すぐに腰がずんと重くなった。
「うあ、あ」
はだけた胸元が合わされば近藤さんの肌が汗ばんでいるのがわかる。求められれば厭も応もない。下帯越しの性急な愛撫に、電流を流したみたいにびくびくと下半身が跳ねる。
ふ、という獣じみたため息、衣擦れの音とともに、足を大きく割って近藤さんが圧し掛かってきた。間もなく猛りが菊座に押し当てられ、ぐずりと粘膜が鳴る。
「や、」
咄嗟に出た声を振り切るように、近藤さんは力任せに際まで押し入ってきた。
「ーッ、ッ、う」
入り口の軋みと喉までを圧迫する息苦しさ、それも二度も擦り上げられたらすぐに快楽に変わるのを知っている。おれは肩を震わせて衝撃をやりすごす。
ね だるまでもなく唇が下りて来た。舌の根を抜くような激しいキス、咥内をめちゃめちゃに蹂躙されて、下半身のそれとオーバーラップしておれの芯を焦がす。腹にびしゃりと生暖かい飛沫を感じて、真っ赤な思考でもう出してしまったのだと認識した。いつもなら堪え性のない、と嗤ってくれる近藤さんが、今日は揶揄もせずに一心におれを攻め立てる。
力を失ったそれと睾丸が、近藤さんの下腹でもみくちゃにされているのを想像したら出したばかりの精管がひどく痺れた。
「んう、ふ、う」
唇を逃げた唾液を、近藤さんの厚い舌が追いかける。品のない水音と相俟っておれを恍惚の淵に追いやる。
トシ、と呼ぶ、近藤さんの汗が鎖骨に滴るのが、ようやく慣れた昏い視界で近藤さんの眉が顰められるのが、喉仏が上下するのが、無性に誇らしい。かれがおれを求めて、おれで興奮しているという事実に耽溺する。

どんどんひしゃげていくあられもない喘ぎに、近藤さんの律動も激しさを増す。
思考が歓喜だけに塗りつぶされた頃、近藤さんがおれの奥深くで爆ぜた。


     *




厭な夢だった。


俺はトシを探している。けれど屯所のどこにもいない。
隣の部屋は総悟の部屋で、隊士に尋ねれば組にはもともと副長などいないという。
口々になにを言ってるんですか、と笑われ、その笑顔に俺は納得しなければならないような雰囲気だった。
それでも、むかむかする喉を搾り出して俺はいう。
トシだよ、トシ。ほんとにわからねえの。
誰かが優しく、どんな人ですかと俺に問う。俺は問われて呆然とした。
いくら考えても頭は真っ白だった。唇を舐める。形容する言葉が何一つ出てこないのだ。だってトシはトシで、トシ以外のなにものでもなくて、
俺の一部であり片割れであり、傍らに居ることをときに忘れるほど当然の、俺の、俺だけの所有物であった。
何が起ころうが、俺の隣にいなければならない。

周りの隊士たちは邪気もなく微笑む。話題がありていな、瑣末なことに変わるに至って、俺はようやくどこにもトシがいない、ということを理解する。瞬間、脳天を衝くような衝撃に襲われた。


目が覚めると全身がじとりと汗ばんでいた。これが夢でよかったと思った。

あの息苦しいまでの喪失感を、
きっと人は恐怖と呼ぶのだ。




「どこにもいくなよ、」
俺は感情とは遠いところでぼそりと発音した。そんなこと口に出すまでもないと、明日陽が昇るのと同じぐらいに確かなことだと思っていた。思っている、今も。

抱く腕に力をこめればトシは、俺の胸板で低く笑った。
「ヘンな近藤さん」



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