贋作ヘヴン
「よっこらしょ」 洗濯かごを床に下ろす。 万事屋に来ておさんどんを始めて3ヶ月。 この建て付けの悪い物干し台にもすっかり慣れた。 この洗濯物を取り込んだら昼の雑用は終わりだ。 軋む手摺りに軽く体重を預けて、一息つく。空を仰ぐ。 江戸の空は狭い。狭いけれど今日は晴れ渡っていい気持ちだ。 綺麗な青。 目には見えないだけでスモッグとか身体に悪そうなものも一杯飛んでるんだろうけれど 見えなければいいんだ。 僕は気にしない振りが上手い。嘘を吐くのも上手い。 嘘を吐いてるうちになんだか嘘じゃないような気がしてきて 嘘だっていう罪悪感まで無くなってしまう。結構便利な性格だと思う。 それでも身体のあちこちにこびりついた静電気みたいな違和感が 時折頭をもたげてくることがある。 それはどうしようもないから黙って唇を噛むしかない。 撓んだ物干し竿を少し直して、 ぶらさがっているシャツの腹をぱんぱんと叩く。 洗濯物は粗方乾いてる。手を伸ばすと、白いシーツに大きな灰色が影を落とした。 頭上から覆い被さってくる轟音。その轟音に隠れるようにキイインという高い音。 振り向かなくったって判る。天人の宇宙船だ。 音が耳から消えてしまうまで僕は手を止めて待つ。 まだシーツは灰色だ。随分と大きい。 「侍っていうのは命を懸ける事を赦された人種なんだ」 不意に頭を過ぎったセリフが誰のものだか一瞬思い出せなくて、 声の記憶をたぐり寄せる。そうだ父上だ。父上が生前よく云っていた。 だから誇り高くあれ。そういう運びだったように思うけれど 僕は何か、もっと後ろ暗い響きを感じていた。 僕らには人殺しの権利があると。対価に自分の命を払う義務があると。 そう聞こえて、じくじくした厭な気分になった憶えがある。 そうそして今僕が抱えているわだかまりもそれに似た色をしてる。 銀さんと僕の間にある溝。絶対に埋まらないそれ。それは年齢とかそういうものじゃない。 いくら手を伸ばしても届かない。 あのあきらめと自嘲がない交ぜになったような 苦しそうな笑い方は僕には出来ない。 ひとを斬るときどれだけ重いのか僕は知らない ひとを斬るときどんな音が出るのか僕は知らない ひとを斬るときどんな気分になるのか僕は知らない 洗濯ばさみを揃えながらぼんやりと 僕にもひとが斬れるだろうかと考えた 少し考えて、多分出来る。と思った その想像には現実味も何もあったものじゃなかったけれど、 出した結論はきっと間違ってないと思う ひとを殺す事でしかあんたに近づけないというなら それがあんたと僕の間を阻むというなら 夥しい後悔と嘔吐と眠れぬ夜を引き受けてもいい 信念なんかじゃなく復讐なんかじゃなく もっともっと下らないもののために僕は多分人を殺せる 別に天国なんて行けなくたって構わないんだ。 見上げたらもう船はいなくなっていて空は変わらず青くて 僕も大概ろくでもない、そう思って小さく笑った。 洗濯物でいっぱいになった籠を抱えると部屋の方から声がした。 銀さんが僕を呼んでる。またつまらない用事だろう。 空は目を離すのにためらうくらいの青さだったから、 僕らの吐きあう嘘がいつまでも嘘のままでいてくれますようにと 柄にもなく願掛けしてせーので振り返って 残像で青みがかったサッシの戸を引いた。 |