紅はくれない







この時間だとまだ二人とも寝てるかな。そう思いながら階段を上れば、低い羽音が聞こえた。換気扇の回る音。味噌汁のいい匂い。
半分開いたすりガラスの向こうから声をかけられた。
「おはよう」
「、はよう、ございます」
窓から覗く桂さんは今日もきっちり化粧に女物、髪は一部を結い上げていて、いかにも女房然としている。さっちゃんさんあたりがみたら発狂しそうだ。

桂さんは銀さんの部屋で枕を並べて寝ている。とはいえ僕は桂さんの寝ているところを見たことがない。僕が帰るまで起きているし、朝来ると必ず起きていてこうして身支度を整えている。警戒しているわけじゃないだろうけれど。
むやみに他人に寝姿を見せないのも、ずっと戦いの中で暮らすうちに身についてしまった習性なのかもしれない。


玄関を上がって台所に回る。
「なんか手伝いましょうか」
「いや、もうできる。ごはんだけ、炊き上がったらおひつによそって持って行ってくれ」
彼の手際が意外にいいうえ、万事屋の台所はうちのと違って二人並べるほど広いわけでもないので、僕は素直に頷いた。
「はい」
旧型の電気釜を覗いたけれど、まだ少し時間がかかりそうだ。

桂さんの味噌汁ちょっと濃いんだよな。このブルジョアめ。あーなんか姑みたいでやだなこういうの。

冷蔵庫によりかかって、なんとはなしに思い出した。
あのときこの場所で、桂さんの髪を撫でていた銀さんと、桂さんの間には到底割り込みがたい雰囲気があった。おかしな話だけれど艶すら含んでいた。
なんだか変な想像をしてしまって、そしてかれの女物の着物と綺麗な足のラインを目で追ってしまって、ぶんぶんと頭を振った。

別に銀さんが女性とどうこうなっていてどうも思わないけれど(羨ましくてムカつくぐらいで)、
このひととどうこう、というのは変にリアルで生々しい。胸にこみ上げてくるむずむずした、正体の知れないものを持て余す。


「はよ」
思わず背筋が伸びる。声のした方を向けば居間へ続く戸のあたり、銀さんが欠伸をしながら、はだけたじんべえの裾から腹をひっかいていた。
「おはようございます」
努めて冷静に声を出す。なんだこれ気まずい。
「新八くん、飯が炊けたぞ」
桂さんの声に助けられた気分になって、僕は銀さんに向って、押入れのほうを指差した。
「銀さんは神楽ちゃん起こしてきてください」
ぱっと顔をそらし、収納の前にしゃがんでおひつを取り出す。銀さんは、ふぁい、とかいうグダグダな返事をよこして、間延びした声で神楽ちゃんを呼び始めた。


テレビをつけて、配膳が終わって、いただきますをする。
結野アナのコーナーが終わった辺りで、おもむろに桂さんが云った。
「そうだ、提案なのだが」
「なんだよ」
もちゃもちゃ咀嚼しながら、未だブラウン管から目を離さず銀さんが応えれば、桂さんは演説でもするみたいにのたまいだした。
「風呂場にコンディショナーを導入してはどうか。どうもメりっとだけだと滑りが悪くてな。もうすぐシャンプーもなくなるし、アジえンスで揃えればよい」
「え、メりっと先月補充したばっかなんですけど、なんでもうなくなってんの?」
厭な予感がした僕は箸を置いて風呂場に走った。ボトルを振ってみればスカスカしている。思わず上げた僕の悲鳴に呼応して、銀さんが吼える。
「おま、シャンプーってバカになんねえ値段なんだぞ!」
「ワンプッシュまででお願いします!」
怒鳴りながら居間に戻ってくるけれど、桂さんはちっとも悪びれない。
「いやしかし新八くん、おれの髪は君らのと比べて手入れを怠れないので」
「バカにしてんのかこのヅラ!ボウズにしてやろうか」
今にも掴みかかりそうな銀さんに、おおむね僕は賛成だ。
アジえンスいくらすると思ってんだ。僕らメりットで三ケ月は持つぞ。
「おかわり!」
ずっと無言で朝飯と格闘していた神楽ちゃんが、場の剣呑な空気にも構わず僕に茶碗を突きつける。三杯目にはそっと出し、そんな川柳を思い出しながら受け取った。


結局桂さんの分は自分で買ってきてもらうことにして、メりっとの分は定価で弁償してもらうことで場を収めた。大江戸ストアのタイムセールで買えば200円は浮く。それまでは石鹸生活かな。

こういうことはあれども、万事屋の家事は桂さんが来てから、心なしか少し行き届くようになった気がする。銀さんはすぐトイレ汚すし、神楽ちゃんも散らかしっぱなしにするし、僕もそこまで几帳面なほうじゃないのでなあなあになっていた分を、桂さんがカバーしてくれているかんじだ。



サッシのガラス越し、和室で漫画を読む銀さんと、その肩を揉まされている桂さんを見遣る。何を話しているのかは聞こえないが、ときおり笑いあっているのはわかる。洗濯物を干す手は止めない。風が強いから洗濯バサミをいつもより多く使う。

あのひとたちにしか分からない代名詞や、年季の入った、独特の間で話をするとき、割り込めない、ということ、をまざまざと思い知る。それにひっかかっている自分をも持て余す。

銀さんがこっちに気づいて、慌てて反らすのもなんだと思って目を細めてみたら、何を勘違いしたのだか僕のほうを指差し桂さんになにごとかを云った。
裾を捌いた桂さんが立ち上がり、ベランダへ続く戸を開ける。

サンダルをつっかけて物干し場に降りてきた桂さんは、洗濯籠の傍まで来て屈んだ。
「手伝えといわれてしまった。気づかなくてすまなかったな」
「いいですよ別に、ひとりでできますし」
「まあまあ」
桂さんはカゴからシーツを取り出して、ぱんと広げてもう一本の物干し竿にかける。
豊かな黒髪がふわと風に乗る、男の長髪なんか暑苦しいだけだけれど何故かかれに関してはそういう印象はない。光で少し青みがかったような色を、綺麗だなとぼんやり思う。

「昔から長いんですか、それ」
なんとなく問えば、桂さんはああ、と頷いた。
「昔は珍しくもなかったぞ。銀時や辰馬のようにグルグルだと伸ばせやしないが」
確かに。云われてみればそうかもしれない。

「あ、洗濯バサミそこです」
竿にひっかけてあるプラスチックのカゴを指差す。カゴからいくつかつまむ白い指先を窺って、僕はどうしようもないことを口にした。
「銀さんのちっちゃい頃、見てみたかったな」
「あんまり今と変わらないがな」
ふふ、と低く笑うのが、妙に癇に障った。
それが顔に出てしまったらしく、桂さんは不思議そうな表情をして、それから声のトーンを少し落とした。
「知らないことがもどかしいか」
「いや、べつに、そういうわけじゃ」
ばかばかしい、咄嗟にごまかし笑いをして次の洗濯物を掴む。虚勢を張ってはみたけれど、それも多分見透かされているのだろう。ばつが悪い。

「あの、」
何を言うでもなく口を開いて、出てくるのに任せて早口で言った。
「押しかけ女房って設定いつまで引きずるんですか。別に部屋の中で演技する必要なんかないと思いますけど」
「演技?」
首を傾げられて
「なんか、その、ベタベタしたり。雰囲気でちゃってますよ」
情婦じゃないんだから。そう続けたら、桂さんはふと目を逸らして曖昧に笑った。

「なにこの間、きもちわるい」
僕は喉から引き攣った声を出す。
「え、冗談じゃなく、ほんとになんか、あったりとか」

言いかけたせりふは物理的に遮られた。広げた浴衣が突風に煽られて思い切り顔に張り付く。視界を遮られて忌々しくなぎ払えば、すぐそこに桂さんが移動してきていた。急に縮まった距離にびっくりして半歩ばかり後ずさる。桂さんは囁くように、紅のさす唇を動かした。

「気になるならばあいつに、聞いてみればよかろう」







100312



モドル