ドロップド





「悪かった」

酒に灼け憔悴しきったおれの声に対して、新八のノリは軽かった。
「いやいや、そんな改まんないでくださいよ」

目覚めるといつの間にかおれの身体は八畳間までひきずられてきていて、申し訳程度に布団がかけられていて、それでもってマッパだった。
マッパのおれに引き換え既に新八は着物を着込んでいて、いいからぱんつ履いてくださいぱんつ、とぱんつを箪笥から放られた。

ぱんつと暫し見詰め合って、いや、でも、と思い直す。へどもどしながら口を開いた。
「改まるよそりゃ、だってアレ、手篭めみたいなもんで」
手篭め。復唱して新八は笑い出した。え、これ笑うところ?
「いや僕女の子じゃないですし。一応同意もあったし」
「あったの」
多分、と曖昧に頷く。それからふ、と息を吐いた。
「別にケツ貸したところで、僕は変わらないし」
あ、でも痛いのは極力避けたいですけど。歯を見せて苦く笑って、それから力強く言った。僕は。
「あんたを拒んだりしないよ」


自信に満ちたその声に、おれは半開きになっていた口を閉じる。
黙りこんだおれをどう思ったのか、新八はさて、朝ごはんつくりますから、と茶の間のほうへ去っていった。

見上げた壁の時計はもう九時を回っていて、窓から刺し込む陽の眩しさに目を細める。この部屋に何よりおれが場違いだと思った。



茶の間に向かい合って座り、よそった茶碗を渡されたところで神楽が帰ってきて、志村家で食ってきたはずなのに私もと強請り、結局三人揃っていただきますをした。
大根とわかめの入った薄い味噌汁が、おれの胃をじわりと暖める。おれの前に広がる食卓もそれを囲む神楽も新八も、昨日やおとといやその前と地続きでなんら変わりはなく穏やかだった。

新八は、
何にも変わらない、と云った。何にも変わらない、ということに、愕然とした。
じゃあどうすればいい。どうすればおれたちは変われる、このいつなくなってしまうかわからないあえかなものじゃなく、確かなものになれる。
 
昨日の夜。酔っ払っていたのは確かで、目覚めた後にしこたま後悔はしたけれども、それでもおれに今思い当たる、何がしかおれをあいつに縫いとめる術などあれくらいだったんだ。契り、というからには、少なくともそれくらいの神聖さがあの行為にはあると、おれはこの年まで信じて生きてきたのに、
それなのに現実には指きりにも満たないだなんて。
途方もない無力感が、おれをとらえて今にも押しつぶしてしまいそうだった。






結局酒ぐらいしか逃げるところが無い。つくづく情けないイキモノだと思う。
今日の酒は生憎上手く回ってくれず、胸のむかつきを育てるばかりで、二軒目を出た辺りでもう路地裏に駆け込んだ。ゴミの饐えた臭いにしこたま胃を刺激されて前かがみになる。

「うぷ」
出るもんはもう粗方出た。水みたいな胃液をこぶしでぬぐう。
電信柱とお友達になってもうどれくらい経つだろう。
頭と腹はかっかとしているけれど、襟足に吹き込む十月の夜風に身体は大分冷やされているはずだ。
ああこれ風邪引くな、最悪ここで死んじゃうかも、などと縁起でもないことを考え始めた矢先、表の通りからよく通る男の声が耳を打った。

「おーい、そこの」
おれは到底返事をする気にもなれずに無視を決め込んだ。そうしたら大柄な人影はずかずかとこちらへ近寄ってくる。制服、マッポか、あれ、なんか見覚えのある。
「大丈夫か……って、万事屋じゃねーか」
電灯に白々と、照らされたのはゴリラだった。



足元は想像以上におぼつかず、ゴリラに引きずられるように用水路沿いのベンチに移動させられた。
「ホラ、水」
ゴリラはビニール袋からペットボトルの水を出しておれによこした。煌々と明かりの灯る、向かいのコンビニで買ってきたらしい。
「こんな時間まで飲んで歩いて、お子さんたちどうしてんのよ」
うっさい。新八なら志村の家だし、神楽は一人のときは様子を見てくれるようお登勢に頼んでいる。説明するのもめんどくさくてイヤミで返した。
「そっちこそ仕事ほっぽってスナック詰めのくせに」
図星なのかゴリラからそれ以上の追求はなく、黙って乳酸飲料のふたを剥がすのに腐心し始めた。

上手く剥けないらしくいつになく真剣な横顔を見ていたら、おれは急にむかむかした気持ちになった。
思い出してみたらこいつのことがずっといちばんなやつ、少なくともふたりいる。いざとなれば全てに優先して、何だって擲ってこいつの元に駆けつけるやつが、ふたりもいる。そいつらとの絆が組織という名のもとに社会的にも保障されていて、当たり前でございって顔をしている。これまでもずっと一緒にいて、結婚しようがなにしようが、(あいつらはそれすらしないような気がするけど)これからもずっと一緒にいることに、何の不安も疑問もない。

思考回路はアルコールで軽くなった口と直結した。
「あんた、ずりーよ」
「ん」
やっとありつけた中身をひとくちで煽ったゴリラが、ぱちりと瞬く。先を促すようにこちらを見た。
おれはスペックの極端に落ちた頭でぐるぐる言葉を探して、
「あんたのコブは、いなくなんないだろ」
二つついてるやつ、といい足せば、ゴリラはちょっと考えたような顔をして、ああそのコブね、と頷いた。 
「巣立ったり、見限られたり、しないだろ」
「そいつはわかんないけどな」
肩を竦めてえくぼを作るので、おれはかぶりを振った。
「しないよ。見てりゃわかるよ」
袂を別つより死が早い。あのふたりの忠誠はそういうものだ。

「ずりーなって、思って」
自分でもわかってる。こんなのは愚にもつかない、ただの愚痴だ。
「そうか、狡いか」
ゴリラは肩で笑った。
「俺も、たまにひでぇことしてるなと思うよ。過去も将来も込みでがんじがらめにして」

それでも。目を細めて低く呟く。
 
「どんなに見苦しくても可哀想でも、手を離してやれねぇんだ」

ゴリラは掌をじっと眺めている。
おれも上手く動かない自分の、ゲロくさい掌をごわごわと開いた。

見栄も建前もプライドも綺麗事も、まだおれは棄てきれずにいる。ひょうひょうとした大人を演じたがっている。
だってきっとそうすることでしかあいつらの心の中にでっかく居座れない。おれが引き気味だからあいつらが追っかけてきてるのだもの。いつか追っかけられなくなったとき、おれが逆に追っかけ始めたらあいつら興ざめするに違いないと思う。そんなみっともないところなんか見せられない。

だからおれは怖い。あいつらの世界が広がるのが、自信をつけていくことが、強くなっていくことが。


はす向かいのコンビニの扉が開いてピンポンとやたらに明るい電子音が聞こえた。
黙りこくったおれたちをちかちかと電光表示が照らしている。ああ、おでんのにおいだ。
安全な、匂い。


昨晩抱いた新八の、思いのほか筋肉の乗った身体を思い出す。傷だって大してつかなかった。朝にはまるで平気な立ち居振る舞いをしていた。
おれはあいつに、傷ひとつ残せない、そんなどうしようもないことを考えてしまって、おれは首をぶるりと振った。






081123



モドル