オーバーヒート






銀さんをみていると僕はどうしようもない気持ちになる。

認められたくて、頼られたくて、
護りたくて、暴き立てたくて、そのどちらでもなくて、

とにかくもうめちゃくちゃで、
こんな感情を僕は知らなくて、それで僕はこれを恋だと呼んだ。






夏は振り向かずに駆け足で去っていく。

僕は繕い物をする手を止め、上半身を乗り出して扇風機のスイッチを切った。
モーター音の下から、カナカナと蜩が鳴き始める。風のなくなった部屋は、なくなったところから湿気を孕む空気にみっしりと占められていく。それでも肌を覆う温度はそれほど不快ではない。夏の盛りからくらべるとずいぶんと過ごしやすくなった。 

神楽ちゃんは向かいのソファで高鼾をかいている。女の子なのに憚らずばりばりと腹をかいて、腹掛けがずれてしまっている。
僕はずれてしまったタオルケットをもういちど胸の所まで持ち上げた。ついでにそれで涎も拭ってやった。

「新八」
呼ばれたので顔を上げた。
「はい?」
回転椅子に腰掛けて、窓の方を向く銀さんの表情は、僕の方からは伺えない。さっきまで読んでいた雑誌がこっちに放ってあったから、拾って新聞紙の束のほうに投げようとした。
投げようとしたら銀さんが突拍子もないことを云いだした。
「お前さ、性転換願望とかあったりすんの」
「はァ?」
雑誌は目測を誤って大分ズレたところに潰れて着地した。
「それともオレにして欲しいの」
「…なんか話が全然見えないんですけど。っていうかキモチワルイ想像させんな」
いきなり何を云いだすんだ、この人は。ぞっとしない。
「…イヤオレなりに考えたんだけど、お前のスキってそういうのじゃないの」
その、カレシとカノジョみたいな。橙に染まった耳朶の辺りがモゴモゴ云った。
「冗談」
僕は即答した。アホじゃないかこのひと。
「あんたとカレシカノジョになんかなりたかないです」
そんな不自然な関係になんてなりたくない。第一想像もつかない。僕は僕のままで、あんたはあんたのままでなければ何の意味もないじゃないか。
「じゃあどうなりたいの」
問われて、そう問われると返事に窮した。
「…どうなりたいんでしょうねェ」
今のままでいいのかもしれない。今までと同じに、これからもずっと。
でもそれなら何で僕はこのひとに好きだなんて云ってしまったんだろう。

「じゃあさ」
僕の煮詰まってしまった思考を、少しトーンの高い声が引き戻した。

「おれと神楽と、どっちが大事」

トーンの高さにちょっとびっくりして、それから小さく笑った。
僕は答えを間違えない。
「僕もずるいですから、どっちも大事です」

それは本心だ。どちらもかけがえがない。優劣なんか付けられない。
それに、銀さんと僕と神楽ちゃんのこの家族ごっこを何より必要としているのが銀さんだってことを知ってる。その関係をぶち壊すようなことになったらこのひとは途方に暮れてしまうだろう。それがわからないほどの莫迦じゃない。
僕だって、できることならできるところまで、このまま三人でごっこを続けたい。

「でも、」
優劣はつけられないけれど、決定的に違うことがある。
僕は銀さんの後頭部を見据えた。逆光で眩しくて、半分くらいしか瞼を開けていられない。
「神楽ちゃんのこと考えても苦しくならないですけど、あんたのこと考えると、苦しい」
喋っているうちにむかむかしたものが胸の辺りまでぐうっと持ち上がってきて、最後の方は潰れたみたいになった。
そう、それで、あんまり苦しいから、息継ぎするみたく僕はこのひと相手に吐き出してしまったんだった。


銀さんはこっちを見ないで暫く頭をボリボリと掻いて、掠れた声で、
お大事に、と云った。
陽に熔けるような銀さんの髪からゆっくり視線を降ろし、神楽ちゃんの寝顔をぼんやり眺めながら、僕は胸で蜷局を巻いている疼きを持て余した。


銀さんにも、この苦しいのが伝染しているだろうか。
少しでも伝染せているのなら、それだけでこの恋は報われていると、そう思った。








モドル