チャンネル8
その前にどんな話をしていたのかもう忘れた。どうせ大した会話じゃなかったと思う。 俺が視線を浮かして、新八も目を逸らして。 ふと出来た、空洞みたいな間にそそのかされて、あいつはどうやら口が滑ったらしい。 聞き取れないほど掠れた声で、僕、と言いかけて、そのままことばは宙に浮いた。 新八がもったいぶることなんか滅多にないから、 おれは不思議に思って新八の方を向いた。 おれが見ているのを意識したのか、ばつが悪そうに視線は下の方をゆらゆら泳ぐ。 息を呑んで、短く怒鳴るみたいにして新八は云った。 「あんたが好きです」 発音しきった、新八の目元は赤く染まっていた。 瞬きをひとつして、何も考えないままするりと飛び出してしまった言葉に、 「好きだよ、おれも」 飛び出してしまった後自分でも驚いた。 ああまずったかな、とか、考え無しだったかな、とかそんなようなことが頭で渦巻いたけれど、顔には出ていなかったと思う。 光線の加減でちかりと光ったレンズ越しに、突きはなされた子供のような呆然とした目が覗いて、 やっぱり下手を打ったと思ったけれど今更後の祭りだった。 忙しない足音が部屋を駆け抜けていって、仕舞いにがしゃんと戸が閉まる音が耳を打つ。 おれは唸りながら耳の後ろを掻いた。ごまかしたわけでも茶化したわけでもない。 だってほんとにそう思ったんだ。 好きとひとくちに云ってみたって、それが同じ感情を指すとは限らない。 おれだって好きだと云ったけれど、口に出したら尚のことよくわからない色を帯びてしまった。好きにだって色々ある。甘いものしょっぱいもの。軽いもの重いもの。浮くもの沈むもの。透き通ったもの濁ったもの。 ちょうどこの、ナベで茹だる味噌汁に似ている。 ぐるぐるぐるぐる、ごちゃごちゃごちゃごちゃ。 思わず見入っていたらぼこぼこ沸騰し始めたから、慌ててコンロの火を止めた。 「メシだぞー」 のれんを持ち上げて居間に声を掛ける。 繕い物をしていた新八がテーブルの上を片づけ出して、神楽はほーい、とふざけた返事をした。あいつ鳥山マンガ読んだな。 神楽に言いつけて食器を運ばせ、新八が飯その他を配膳して、 席に着いたおれは給食当番の三角巾を取って、三人声を合わせていただきます、をする。 今日の献立は煮物、干物、味噌汁に漬け物。ちゃんと一汁三菜。三日前に臨時収入がはいったばかりだから、うちにしてはマトモなメシだ。 「銀さん、このお煮付け砂糖入れすぎ」 箸を付けるなり新八が顔を歪めた。 「文句云う子は食べなくていいですゥ」 わざと唇を突き出すと、銀さんキモイ、とツッコミが入る。 「新八、姑みたいネ」 「それを言うなら舅じゃないの…て、神楽ちゃん、おべんとついてるよ」 口元を拭われて、神楽はひとりでできるとフグみたくふくれた。 この、なんかサざエさんとかに出てくるみたいな雰囲気、 お互いに馴れ合って寄っかかって時にはケンカして、でもなんだかんだで元通り、みたいな、 くすぐったいような照れくさいような雰囲気を、最初は柄じゃねーと感じていた。自分はこんなような生活とは一生縁がない生き物だと、ずっとそう思って生きてきたのに。 いつの間にかここが、何を置いても護りたい、一番大事なものになってしまっていた。 泣いても笑っても振り出しに戻れる、この場所がおれには必要で、 それは神楽だって新八だって同じで、ここを無くしたくないと思っているはずだ。 そして、そう思ってるなら、少し考えればわかりそうなもんだ。 さんにんがふたりになっちゃいけない、ってこと。 どこまであいつはわかってるんだろう。 どこまでわかっていて、あんなことを云ったんだろう。 おれは天井の木目をぼんやり眺めながらひとりごちた。 「十六ねェ」 わかりやすい数字を引っ張り出して子供扱いをして流してしまうのは簡単だけれど、 (そしてできることならおれはそうしてしまいたいのだけれど、) それであいつは納得なんかするだろうか。 「銀ちゃん」 名前を呼ばれたので、むくりと布団から起きあがる。 居間に続く襖ががたがた開いて、薄暗がりから枕を抱えた神楽が顔を覗かせた。 「一緒に寝ていい」 「おー、なんだ、怖い番組見たんか」 ふとんを半分めくってやると、神楽は埃が立つほど勢いよくすべりこんできた。 俯せの体勢のまま首だけこちらに持ち上げて、目があったから、どうした、と視線で聞いたら、 「銀ちゃん、私とセックスできる?」 そんなことを云ってのけるものだから、おれは思い切り顔を顰めた。 「いきなり何言い出すのこのこは」 冗談でもそういうこと云うんじゃありません。びしりと手加減のないでこぴんをした。 神楽は額を押さえて、おーいて、とごろごろして、それでもしつこく繰り返す。 「できる?」 「できたら一緒になんか住まねーよ、アホ」 「なんで出来ないの」 「おめーがガキだし、」 (それ以前におれは生身の女じゃまず勃起できないしそれが血腥いやつなら尚更なのだけれど、) それを差し引いたとしても、 「家族とはセックスしねーだろ。だからできねーの」 「家族でもパピーとマミーならするヨ」 「オレとオマエがパピーとマミーか?」 「…違うネ」 神楽は納得したように頷いて、仰向けに膝を抱え宙に投げた足を揺らした。 「私と銀ちゃんも、私と新八も、新八と銀ちゃんも、パピーとマミーじゃないネ」 「そうだろ」 「みんなパピーとマミーをやりがたる子供ネ」 じっとこちらを見つめる神楽に、おれは逃げられないような気分になって唾を飲んだ。 「だから私たちみんなセックスしないヨ」 「…そうだな、」 その通りだ。 低く相づちをうつと、神楽は布団を頬まで引っぱっておやすみを云った。間もなく寝息が聞こえ出す。 おれは電気を消すことも忘れて、また頭の中にできた新しい渦を、 どうにか鎮めようと躍起でいる。 |