初恋葬送曲










ベランダづたいによじ登り、屋根の上に顔を出す。空はよく晴れていた。
遠目に、伏せた顔は別人みたいに見えた。


わたしは唾を飲んで、2メートル向こうの瓦に座る新八に声を掛ける。
「新八」

四つんばいで近づくと、面を上げた新八が私を見ていつもの顔になる。
なんとなくほっとして、すこし間をおいて隣に座った。
足を伸ばす。足元にはごみごみした町が広がっていて、豆粒みたいな人影がせせこましく動き回っている。私は伸ばした足をぶらぶらさせて、懐の酢昆布をさぐった。

「どうしたの」
新八は首をこっちに向けて聞いた。私は前を見たまま応えた。
「銀ちゃんが、新八が泣いてるかも知れないから見てこいって」
それは半分ほんとで半分ウソだ。
新八はちょっと噴きだして、泣いてねーよ失礼な、と肩で笑った。

私に新八を見てくるようにしむけたのは銀ちゃんだけれど、泣きそうな顔をしていたのはどちらかというと銀ちゃんのほうだった。
泣きそうな顔、と云ったけれど考えてみたら第一私は銀ちゃんの泣くのを見たことがない。なんで私はそう思ったんだろう。


「ケンカで負けたアルか」
銀ちゃんと新八がケンカするのは珍しいことじゃない。子供扱いされたりからかわれたりなんかして、新八がへそを曲げて家を飛び出すのもいつものことだ。
でも銀ちゃんの態度といい、今回はちょっと違うと思った。

「そうじゃないんだけど」
新八はうーん、と唸って、言葉を探して、ぽつりぽつりと舌に載せた。


「なんか、色々、あのひとがはぐらかすから」

「いや、きっとはぐらかしてるわけじゃないんだと思うけど、」

「なんだろね、僕も」

「怒ってるわけじゃないんだ。ただ、」


寂しいんだきっと。そう云ってくちびるを噛んだ。
よくわからない。そう正直に伝えたら、少し眉を寄せて苦笑した。

「あんたが好きです、って云ったんだ」
私はいい加減な相づちを打って、昆布を前歯で弄る。
ぐるぐる考える。新八が好きだと云って、銀ちゃんがはぐらかした。



そういえば銀ちゃんはさっき私に変なことを聞いた。

『お前おれのこと好き』
『ウン』
私は間を置かずに頷いて、そうしたら銀ちゃんは変なことを云うのだ。

『おれは果報者だな』



そんなことを云うなんてばかじゃないかと思う。
さっきの銀ちゃんを思い出したらわけもわからずむしゃくしゃして、その気分のまま新八のほうを向き直った。

「私も銀ちゃんが好きアル」
新八はちょっと面食らった顔をして、
「そうだね」
それからくしゃりと笑った。
その笑顔を見て、私は今のじぶんのせりふを後悔した。
こんなに、すごく曖昧な言葉で、かれの気持ちをいっしょくたにして平らにならしてしまうつもりなんかなかった。
ああこれじゃ私は銀ちゃんと同じやり方でかれを傷つけただけだ。

誰かに言い聞かせるように声は続いた。
「僕の好きと、神楽ちゃんの好きはきっと同じだね」

私は頷いてあげたかったけれどできなかった。
だってそれは同じものじゃない。
こんなにぐしゃぐしゃな、迷路みたいな気持ちが同じわけがない。
同じでたまるもんか。


黙りこくって下を向いた私を気遣ったのか、新八が何かいいたそうにこちらを見ている。肩に手をかけようとして、やっぱりやめてひっこめた。ひっこめられて腿の横で所在なげに握られる、かれの右手を睨んだ。
そこしか睨む場所が見つからなかった。


私の『好き』も新八の『好き』も銀ちゃんの『好き』も、
みんな出口を無くして、ぐるぐる渦巻いている。
それが無性に悲しいと思った。


握りしめられた新八の右手の、親指が居心地悪そうにひくりと動いた。
私はこれから初恋を二つ同時に失わないといけないんだ。
そう思ったら胸の辺りがどしんとして、ずくずく疼いて、なかなか収まってくれそうになかった。









モドル