夜と渦







日付が変わって少し経った頃、桂さんから電話があった。
酔いつぶれてしまった銀さんを引き取りに来いという至極簡潔な用件だった。
あのバカ、怪我が治ったと思ったらすぐこれだ。

そういえば桂さん、なんでうちの電話番号なんて知ってるんだろう。
なんとなく薄ら寒くなって考えるのをよした。テロリストって怖い。


こぢんまりとした、でもしっかりとした作りの家屋。教えられた住所をメモを頼りに探し当てた。
表札には、和田、と出ている。誰かの家を借りてるのだと思われた。それとも偽名か。
腐っても逃亡中のテロリストだから、きっとこうして協力者の家を転々としているのだろう。でもそれがこれだけ長い間続くのも、仲間に人望があって慕われているからなんだろうな。
桂さんにはそういう、人を惹きつけるような、無条件で他人を信頼させるような魅力がある。
そしてそれは銀さんも同じなんだ。そう思ったら訳もなく胸がちくりとした。

石造りの門柱のところに小さなベルを見つけて、ボタンを押す。
うんともすんとも云わないから、中でちゃんと鳴っているのかわからない。もう一度押そうかと思ったら、屋内から白い人影が出てくるのが見えた。
エリザベス先輩だ。
「夜分遅くすみません」
先輩は「全くだ」というプラカードを出して、中にはいるように身振りをした。

手入れの行き届いた庭を横目で眺めながら、黄色い灯りの漏れる戸までを早足で歩く。
「お邪魔しま、す」
上半分が曇りガラスで出来た木戸をくぐると、広めに作られたたたき。高めの石段を上がって、板間、その先は絨毯の敷かれた和室になっている。
先輩が腕を組む足元で、板間から和室にわたり、弛緩したからだがうつぶせになっていた。奥に見える銀髪で銀さんだとわかる。っていうかこのひとブーツ履いたまんまだ。人さまの家でなんてことを。手早く草履を脱いで上がって、投げ出された足のところに屈んでブーツのジッパーに手をかける。

「おお、来たか」
右手の、お勝手とおぼしき部屋から、のれんをくぐって桂さんが姿を見せた。
「あ、お邪魔してます」
「框を上がったら倒れ込んでしまってな」
重いから動かすのも億劫で放置したらしい。桂さんはといえば、一緒にお酒を飲んでたんだろうに、顔色一つ変わっていなかった。
「お世話かけました」
情けなく思いながら頭を下げ、元凶のモジャモジャにキッと向き直る。

「ほら銀さん、行くよ」
ぐらぐら揺するけれど反応ナシ。
桂さんと先輩も一緒になってかなり大胆にはたいたり蹴ったりしたのに、とんと起きる様子はない。気持ちの良さそうないびきをかいて、ごろんと寝返りをうった。
「…ダメだこりゃ」
致し方無しに背負おうと、腕を持ち上げて肩を入れようとしたけれど、思ったより断然重い。中途半端な姿勢のまま固まってしまった僕に、桂さんはふう、ため息をついた。
「…おい、エリザベス、客間に布団をのべろ」



不機嫌そうな先輩が銀さんを背負って奥の間に消えて、居間には僕と桂さんが残された。
木造の和椅子に腰かけた桂さんが、お茶を啜って云う。
「もう遅いから、お前も泊まっていくといい」
「いや、そんな」
「一人も二人も同じだ」
客間は一間しかないから、あいつと同じ部屋になるが。いいな。有無を云わさないかんじで畳み掛けられたから、恐縮しながら礼を言った。

「子供は遠慮なんかしなくていい」
僕はその一言にカチンと来て、唇を結んだ。
このひとも。このひとも銀さんと同じで僕を子供扱いする。

「…どうせ子供ですよ」

このひとに、銀さんが甘える『大人』のこのひとに、僕の気持ちなんかわかりっこない。
桂さんと銀さんの間の絆がどんなものか、見せつけられるたびに僕は憧れに似た、でもしょっぱい気持ちになった。
背中を任せる。「護る」ではなく、「一緒に闘う」。
そうだ僕はいつだって、銀さんと対等になりたかったんだ。


「ふむ」
俯いた僕に、桂さんは腕を組み直し、誰に聞かせるふうでもなくしゃべり出した。

「なるほど、あいつは俺に変わって欲しくないと思ってるし、俺はそれに応える事が出来る」

そう、僕ならどんどん変わっていく。
やっと厭な夢を見なくなった。あれだけ僕を苛んだ記憶も、血の色も、だんだん日常に掠れていって、着物に付いた落ちない汚れみたいに、僕の中に染み込んでそのまま定着してしまっている。
僕は昨日の僕とは確実に違う。これからも、抗いがたい力で変わっていくのだろうと思う。それは僕にはどうしようもない。

「、ということはだ」
桂さんの声は僕の行き詰まった思考を引き戻した。それから今度はゆっくり云った。

「俺はあいつで変わらないし、あいつも俺で変わらない」


シュンシュンと、ストーブの上の薬缶が立てる音が部屋を埋める。
意味をかみしめて、息を吐く。僕は桂さんが何でこんな話をするのかわからなかった。
複雑な顔で見上げたら、穏やかな表情で笑って、もう寝ろ、と云った。






客間に通されて、おやすみなさい、と挨拶をして、敷かれた布団を捲る。
綿の感触は冷たかった。両の踝を軽く擦り合わせる。

僕の細胞はこうしている間にもどんどん死んで新しいものと取って代わっていく。
僕が変わってしまうように、僕で変わっていく銀さんを、『僕が好きになった銀さん』じゃない銀さんを、僕は変わらず好きでいられるだろうか。


隣を伺うと、布団から半分はみ出した銀さんが、んご、と鼻に掛かった音を出した。
布団をかけ直してやると、むにゃむにゃ云ってから、
「新八、」
と僕を呼んだ。

ぎゅうと、心臓が収斂する。
途端に全部どうでもよくなってしまった。詮無い悩みも、疑いも、不安も。
ただどうしようもなくこのひとが愛おしいと思った。それだけで胸が一杯になった。
この気持ちの呼び方なんて僕にはどうでもいい。他に知らないからそう呼んでるだけだ。


呼び方なんて、そんなものはきっと大した問題じゃない。
僕とあんたを何かに準えたいわけじゃないんだ。
もう、あんたがどう思っているかもどうだっていい。
僕と同じ気持ちになれだなんていわない。あんたがいやがるならもう好きだなんて云わない。


布団の端を握りしめる。
どうでもいいから、だから、
どうかこのまま傍に。







モドル