チルチルサクラ
高杉らとの一悶着から数日、まだ疵が癒えないおれは神楽と一緒に志村家にやっかいになっている。 離れに寝かされて、お妙と神楽の看病になってないような看病を一日中受けて。はっきりいって生傷が増えてるだけの気もする。 昼間はろくに眠れない。殆ど気を失うようにして眠りについたのが9時頃だったように思う。 遠くに響く柱時計の音で目が覚めた。一回。二回。三回。だから三時か。だんだん覚醒する頭で思う。四方に人の気配はない。少し安堵して髪を掻いた。 そこまで来てはたと気がついた。夜の間の看護を任された新八が隣の六畳に寝ているはずじゃなかったか。 しょんべんかなんかだろうか。そう考えたらおれも尿意を覚えて、よっこらしょと起きあがった。えいやと布団をめくる。寝床を離れるのがつらい季節だ。 障子を開けて、板張りの廊下が足裏にへばりつく冷たさに悲鳴を上げそうになる。 かつて道場をやっていたころ、この家は何人か門下生を住まわせていたらしく、この離れはその最盛期のころに作ったのだと聞いた。八畳と六畳、廊下を挟んで向かいに十畳。風呂はないものの簡単な台所とトイレまである。一家族が余裕で暮らせそうな広さだ。 便所は建物の一番隅に、いかにも建て増ししましたみたいな形でくっついている。 案の定電気がついていた。近寄ろうとして、中から聞こえる苦しそうな喘ぎに背筋が伸びた。喉の奥から絞り出すような音、飲み屋の前の電柱のところでよく聞く音。 げほげほと湿った咳があって、ひとまず波は去ったらしい。続く荒い息に、おれは扉への最後の一歩を踏み出した。 みし、と廊下が鳴る音。 「銀、さん?」 いぶかしげな声がおれを呼ぶ。 「ああ」 この家のいちばん端の、お妙や神楽に気取られない位置で、こいつはたぶん昨日もおとついもこうして吐いていたんだろう。 「情けないとこ聞かれちゃいましたね」 息を整えて、少し噎せながら声は云った。 「船でドンパチやってたときくらいまではずっと盛り上がってたから大丈夫だったんですけど。落ち着いたら、毎日夢に見ちゃって」 無理しているかのように明るい声音に、おれは観念して目を伏せた。そうだ、おれにはこうなることがわかっていた。 おれはあのときからずっと、これを予感して苦い気持ちになって、それを今まで意識的に忘れようとしていたんだった。 「体から離れないんだろう」 おれは努めて冷静に云った。 「感触と、臭いが」 沈黙は肯定だった。 おれにも憶えがある。初めて血を浴びた日は手の震えが止まらず、飯もろくにのどを通らなかった。なま暖かさに吐き気がした。思い出すのも難しいくらいに遠い昔の話だけれど。 状況はどうあれ、おれをかばってひとを傷つけて、自分がひとを傷つけたという事実に傷ついているこいつに、おれはなんて声をかければいいのかわからない。 「なんべんか斬ると慣れるぜ」 おれは気休めにもならない気休めを云った。 「そうですね」 返事は笑ったようだった。だからおれはよけいに追いつめられてしまう。 あの時代ならまだしも。こいつは一生真剣なんて振り下ろさなくてすんだかもしれないのに。おれなんかと一緒にいるせいで、こんな思いをさせてしまった。 「…悪ィ」 詮無いとは思っても思わずそんな言葉が漏れていた。 「何謝ってんですか、らしくない」 新八は木戸ごしに軽口を叩いて、それから低い声で続けた。 「僕は腐っても武士の子だし、それに」 「あんたと一緒に戦ってくためには、避けて通れないんだから、」 「覚悟はできてたんです。体がついてかないだけで」 おれは何も云えなかった。 少し青ざめた表情の新八が戸を引いて出てきて、どうぞ、銀さんもトイレでしょ、とおれの前を空けた。 あまりよく考えないまま、手が伸びていた。新八の頭をつかみ、ぐいと胸板に当てる。 「、やめてくださいよ、ゲロくさいんだから」 新八はそうは云ったけれど突き放してはこなかった。 抱き合うのは久しぶりだった。本当だ、こいつの体からかすかにあの俺の嫌いな臭いがする。 少なくとも、以前のような無害な子供の匂いではなくなっていた。こうしてこいつも「大人」になるのだろう。 だからこれでもうこいつを抱けなくなるのだろうなと思った。 だっておれの体はこの臭いをさせているやつで興奮することができないから。 黙って抱かれていた新八が、そのままちょっとだけ顔を上げた。 「久しぶりにしましょうか?」 「うわぁッ」 出し抜けに、下履きの上からそこをなで上げられて、おれは思い切り腰を引いた。 なぜかそこは、予想に反して立ち上がりかけている。 おれは混乱して唸った。 おれが今までこいつ相手に勃起していたのはこいつが安心しきれる匂いをさせていたからで、あの臭いがしなかったからで、それじゃあなんで、なんでおれの体は今のこいつに反応するんだろう? おかしい。こんなはずはない。 突き飛ばされて胡乱げな新八を尻目に、おれは早足で八畳にとって返した。そして布団をかぶった。 早く。早く寝よう。きっと今日は何かおかしかったんだ。ここのところオナニーもしていなかったからたまっていて、それで間違って反応してしまったんだ。さもなければまだ新八の体にしみついた臭いが薄くて、それでああなったんだ。 理由をいくつもひねり出して、なんとか自分を納得させようとしたけれど、なかなか不安は出て行ってくれない。 冷えた布団はおれの目を冴えさせるばかりで、なかなか眠りにつけなかった。 |