熱とは夜が紡ぐもの
「ありやとっしたー」 引き戸を後ろ手に閉めたらやる気のない声に追いかけられた。 足元が少しフラフラする程度。まだそんなに回ってもいない。 もっと酔いたい。頭を真っ白にしたい。そしてできれば万事屋に帰りたくない。 そこまで考えて俺は頭をぶるぶると振った。ちょっと気持ち悪くなった。 さあて。次はどの店にいこっかな。 安い居酒屋のチェーンに押されて、チビリチビリとできるとこも随分少なくなった。 気のいいオヤジのいる店も減った。つーか、ツケを使える店が減った。 あそこは先月閉めちゃったしな、あそこは…一昨日行ったか。 酒でぽかぽかする頭の中でかぶき町の地図を描いて、あーでもないこーでもないと首を捻る。 前を見ないで歩いていたら、いつの間にか見知った界隈に来ていた。 このへん何かで来たな。 見なれた看板を捜そうときょろきょろすると、落ち着いた若い女の声に名前を呼ばれた。 「あら、銀さん丁度良かった」 ひっく、としゃくりあげてゆっくり振り向く。目の奥の笑っていないお妙が小首を傾げていた。血の気がざーっと引いた。 足元の電光看板の文字はすなっくすまいる、と読める。しまった、ここは普段避けて通っていた道だ。すっかり油断していた。 「これ、始末してきてくれないかしら」 ずい、とこちらに突き出されたのはバカでかいゴミ袋。こんな規格あったのってくらいでかいゴミ袋(黒)。 「…何入ってるのコレ、なんか見るからに不穏なんですけど」 お妙が握っていた手を離すとそれはドシンと落下し、中からくぐもった音がした。 「ウグッ」 今ウグゥって云った。ウグウって云ったんですけどこのゴミ袋。 額に厭な汗をかきながら、口をぱくぱくさせて指でさす。 「つべこべいわずに始末してきてくれないかしら」 そもそもNOなどという選択肢は用意されていないらしい。 「…了解しました」 俺は口の端を引きつらせて頷いた。 持ち手を握ったけれどとてもじゃないけど持ち上げるのは無理そうだ。中の人に自分で歩いて貰った方が早い。俺はお妙の姿が見えなくなるのを待ってゴミ袋を破った。 「…うぐー」 案の定中から出てきたのはバツの悪そうな顔をしたゴリラこと真選組局長さん。 団子のように縛られているのを解いてやり、口元のガムテープを引っ張る。 「いたァッヒゲが抜けちゃうッ」 「知るかァ!」 ゴリラは縄に身体を取られながらよろよろと起きあがると、関節をゴキゴキ鳴らした。店の方を名残惜しそうに見て、それからはあ、とうなだれる。 「…ワンカップでいいならつきあってやるけど」 俺は懐に右手をつっこんで云った。多少の同情心もあった。 「…不本意だがおねがいします」 ゴリラはかわいそうなくらいに肩を落とした。 公園の奥の方、人の来ないベンチを二脚占拠して、自販機から抱えてきた大関をごろっと置いた。 遊具が白熱灯に照らされて濃い影を作っている。夜中の公園は街の喧噪から少しだけ切り離されて淋しい。 「今日は何がいけなかったんだろう…」 ゴリラはブツブツとひとりごちている。俺は街灯の灯りを頼りにフタを剥いて、最初の一口を啜った。 酒が喉に、灼けるように沁みる。安い酒だと尚更沁みる。 「便秘してるとイライラするっていうしな…」 ゴリラも同じようにコップをあおって、いきなり思いついたとばかりに膝を叩いた。 「そうだ!今度は便秘薬をプレゼントするってのはどうだろう?!ナイスアイデアじゃない?!」 俺はツッコむ気力もなかったから適当に流した。 「あーうん、いいんじゃないのそれも」 モテない俺でもわかる。センスとかそれ以前の問題だ。 でもそれ絶対明日トライするんだろうな。それでまた今日と同じオチになるんだろうな。 ご愁傷様。お妙を落とすのは多分一生ムリだと思います。 「薬局ってリボンかけてくれるかなぁ」 まだどうでもいいことを悩むゴリラに、俺はちょっと呆れて喉を鳴らした。 「そんなんで愛想尽かされないの」 誰に、とは云わなかった。はぐらかされるか聞き流されるか、別にそれはそれでいい。 ゴリラはちょっとこっちを見て、トシに?というから、どうにも直球だなと思って頷いた。 そうしたらいきなりゲラゲラ笑い出した。 「ないない、それはない」 ツボにはまったようにひとしきり腹を抱えて丸まる。俺はムッとして口を尖らせた。 「そんなんわかんねえじゃんか」 「わかるよ。あいつのことならなんでもわかるさ」 「なんで言い切れる?」 スゲー自信だな。ひとの気持ちなんて一番頼りにならないのに。 「突然実家に帰るって言い出すかもよ」 ムキになる俺に、ゴリラはとろい動作でベンチに横になった。ひょうひょうとして云う。 「そんときゃ床を転げ回ってでも引き留める」 冗談に聞こえなかったから、俺は畳の上を転げ回るゴリラとゲッソリする多串くんを想像して、そりゃああのこも出て行けないわ、と思った。 「…はっずかしい」 「取り繕ったりしてらんねぇだろ、実際」 横になったら眠くなったのか、ゴリラはあくびをかみ殺し始めた。 「あいつがいなくなる以上に酷いこの世の終わりなんてねえかんな」 眠そうな声で唸るように云った。俺ですらぞくりとした。このセリフを当人が聞いてたら嬉しくて死んじゃうかも知れない。でもきっと、多串くんはこのセリフを一生聞く事はないんだろう。 「ごちそうさま」 呟いた頃には既にとなりのベンチからはいびきが上がっていた。 羽虫が白熱灯の近くでジジッと灼けた音を立てていた。 悔しかった。何故だか悔しいと思った。寄せられる想いを信じ切ってこれだけ甘えられるゴリラにも、それを許して寄り添える多串くんにも。 俺はわかってる。俺たちになにが足りないのかよくわかってる。 好きだとか嫌いだとか、そういう感情以前の問題で、その背後にある思いこみみたいなんが、そして信頼が、俺と新八にはなんにもないんだ。あいつはいつだって俺を諦めたがっている。俺はいつだって傷付かない方法を捜している。 俺たちのどちらにも、相手の人生をぐっちゃぐちゃに引っかき回すだけの根性なんてない。 何より自分の気持ちにすら疑心暗鬼でいる。綺麗なものなんかなんにもない。 ああだめだ、こんなんじゃ全然だめだ。俺は後頭部を背もたれにくっつけて、腰をずるずる前にずらした。 どっか遠いところに行きたい。もっかい頭を打って、あいつのこともあいつと俺とのしがらみも全部忘れてしまいたい。責任なんて取りたくない。 フェードアウトしそうな意識に、いきなり強い光が飛びこんできた。 細目を開けてぱちぱち瞬く。だんだん目が慣れて、逆光になった人影が浮かび上がった。 懐中電灯を片手にもった新八がこちらを照らしている。 「やっぱここだった」 なんでここに。問いただすのもしんどくて非難がましく口をへの字にした。 新八は俺の考えを読んだかのように説明しだした。 「姉上から電話貰って。このへんかなと思って」 「なにそれ。女房気取りですか」 俺がどこにいよーが俺の勝手だろ、と毒突くと、新八はアホかあんたは、と脳天をゲンコで殴ってきた。 「イタイ!」 「これ以上無駄金使わせないように回収しに来たんです!」 アンタのカネだと思ったら大間違いだ、そのサイフには僕と神楽ちゃんの生活まで懸かってるんですからね、とがなる。迫力は姉譲りだ。 俺は言い返しようもなくて、でも不機嫌なのは譲れなくて、頬を膨らませて下を向いて聞いていた。 新八はそんな俺に説教を続けても無駄だと思ったのか、一段落つくとふう、と肩を竦ませた。それからこっちに腕を伸ばして掌を見せた。 「このままホームレスの仲間入りするつもりですか。帰りますよ」 俺は眉間に力を入れた。 逃げたい。この場から、こいつから、ほんとに逃げ出したくてたまらないのに、 それでも俺はこの手を掴んでしまう。 |