紙ヒコーキ飛ばない








冷蔵庫の中に買ってきたものをしまいこんで、流しで手を洗ってから居間に出ると、
バカ上司は窓に半分身を乗り出して何かをやってた。

「何やってんスか」
ぺたぺたと足音を立てて近づく。
「見りゃわかるだろ」
手元を覗き込んだら、小さく切った新聞紙が何かの形にたたまれているところだった。
「かぶとですか?こどもの日なんてとっくに終わりましたよ」
「バカ、紙ヒコーキだよ」
「紙ヒコーキ?」
芸もなくおうむがえしをしたら念を押すみたいにもう一回云った。
「そ。紙ヒコーキ作ってんの」

何やってるかと思ったら。あほらしい。
背を向けようとしたら銀さんは短く呼びかけた。
「ほら、見てろよ」
声に引きずられて踵が返る。
引きずられて身体を動かした後で、引きずられた自分の身体に対して、いいようのない脱力と、少しの悔しさが込み上げてきた。

よっと、とかけ声をかけて銀さんがヒコーキを投げた。
ヒコーキはまっすぐ飛んでいく。僕の目はそのまま釘付けになった。

このひとの声には存在感がある。
ありていに言ってしまえば魔力がある。
すべてのものの輪郭を自分に合わせて変えてしまうような、世界を変えてしまうような、そんな力がある。実際僕の世界だってこのひとで変わったんだ。


紙ヒコーキはだいぶ風に乗って、かなり小さくなってから赤い瓦のあたりで落ちた。
「スゲーだろ」
「知るか」
僕は毒突いて、それから自分も新聞紙を折り始めた。なんだか癪だった。


「お前いくつだっけ」
窓枠にあぐらをかきなおして、窓の外を眺めたままの銀さんが聞いた。
顔を上げずに、手を動かしたまま答える。
「十六ですけど」
「若いなぁ」


それからトーンを変えずにぼそりと云った。
「アレ、多分勘違いだぜ」
僕はぎくりとしたけれど動揺を出さないように、平静を装って尋ねる。
「アレって」
「昨日の話」

昨日僕は銀さんに好きだと云った。云いたかっただけだった。だから云い逃げをした。
そのまま誤魔化されるならそれでもいいと思っていた。
それなのにこのひとはムリヤリにも片をつけようっていうんだろうか。ムリヤリにでもゼロにしたいっていうんだろうか。

追いつめられて唇をかむ。僕はまくしたてた。
「いいでしょう別に。付き合ってほしいとか云ってる訳じゃないんだから」
「でも勘違いだ」

確かに、僕は恋愛なんてしたことがないから、この気持ちが恋だというれっきとした確証があるわけじゃないし、誰にも証明なんてできない。
十年後の僕が変わらずこのひとを好きでいるなんて想像もできないし、
それどころか明日にもこの気持ちが消えてしまわないと云う保証はない。
でも他人に、ましてや銀さんに勘違いだなんて指摘される筋合いなんてない。

僕はかっとなって噛みついた。
「そんなことあんたにわかるんですか」
「わかるよ」
銀さんはこちらを向かなかった。町並みを眺めたままだった。
だから尚更腹が立った。
「なんで」
「俺だって子供やったもん。16だったもん。わかるよ」


しゃべったことがみな、ほんとになってしまうみたいな声だから、
だからそんなせりふを聞きたくない。

「16のスキだとか、そんなんすぐきえちまうよ。泡みたいに」

そんなこと言うな。黙れ。
僕は奥歯を噛んだ。いつだってこのひとは僕の気持ちなんかおかまいなしなんだ。
放り出していくことが親切だと思っているんだろうか。壁を作って踏み込ませない事が僕のためだと思ってるんだろうか。傷つけないことが優しさだと思ってるんだろうか。
だとしたらそれこそ勘違いもいいところだ。



僕は思い切り振りかぶって、ヒコーキを飛ばした。
それはよれよれと少し飛んで、すぐに空気の壁にぶちあたって落ちた。

「飛ばない」
「バカそりゃオメー、折り方が悪…」

黙り込んだ僕を、いぶかしげな声が呼ぶ。
「…新八?」

「飛ばねーよ」
声は震えていた。おまけに割れていた。
僕の声はこんなにぎこちない。力もない。悔しい。
足をふみしめた。床がみしりと鳴った。

銀さんはそこまできて、はっとしたようにこっちを見て、
「新八」
子供を宥めるみたいな声になった。
そういつももうちょっとのところでこのひとは僕が子供だということを思い出してしまう。
思い出して自分はオトナだと思い直してそれでオトナを演じ始める。

無造作に傷つけてくれるほうがどれだけマシかわからないのに。


僕はさっき紙ヒコーキが消えた辺りの低い空を睨んで、せりあがってくる水分を忌々しく感じて、
表面張力がとけてしまわないように何度も瞬きをした。









モドル