青春ディスコミュニケーション
始業のチャイムから20分たっても先生は姿を見せなかった。 10分やそこら遅れる事はよくあるけれど、ホームルームもかっとばしてこの時間まで来ないというのは流石に珍しい。 僕はクラスの喧噪を背中に、深く頬杖をついた。 やっぱり昨日のアレがまずかったんだろうか。昨日準備室で僕にキスかまされたから気まずくって来れないっていうんだろうか。 イヤでも僕だって気まずいなと思ってはいるけどちゃんと登校してる。いくらなんでも先生だってオトナなんだから、中学生にちょっとキスされたくらいでトウコウキョヒなんて情けない事しないだろう。それくらいのプライドはあるんじゃないかな。たぶん。 「遅いな、銀八」 隣の席の土方さんがぼそっと云った。 「いつものことじゃないスか」 「まーな」 あと5分たっても来なかったら職員室に行こう。ちらりと腕時計を見てそう思った。それとと同時くらいで、 教室の戸がガタガタ軋んで、わたあめみたいな頭が覗いた。 ぎくしゃくとした歩みで教卓に上っていく。教室内のざわめきが次第に小さくなって、様子がおかしい先生にみんなの視線が集まる。 先生はロボットみたいにぎこちなく腕を上げて、 「おおお、おはよう」 やっぱりロボットみたいにカクカク口を開いた。 「…どーしたんだ、アイツ」 土方さんが呆然とした声を出す。まさにその場にいた全員の気持ちを代弁してると思った。 「じ、じゃ授業始めまーす」 教科書を真ん中からバサっとめくってくるっと黒板に向かって、親の敵みたいなイキオイでチョークを叩きつけた。 チョークがバキリと割れて床に落ちる。慌てて拾う。 あ、また落とした。拾った。でもどう見てもボケてやってるわけじゃないらしいから、誰もつっこまない。つっこむことも躊躇われるような雰囲気だった。 いつも教科書なんかぜんぜん使わないのに、その日はすごい速さで授業が進んだ。 その時間だけで20ページは進んだ。みんなはすっかり気圧されてしまって、神楽ちゃんや沖田さんでさえ、静かにノートを取っていた。 てゆうかあのひとちゃんと授業できたんだ。僕は変なところに感心していた。 手洗い場で蛇口を捻ったら、給食当番の白衣を羽織ったままの土方さんが横に並んだ。 「今日アイツおかしいよな」 ちらりと教室のほうに視線をやって、親指で肩越しにさした。 先生は教卓に猫背で座ってプリンと取っ組み合っている。 いつもなら席を回って半ば強制的に(君ダイエット中だよね?とかなんとか云って)回収するのに、今日は大人しく自分の分だけを食べている。目は泳いでるし口にスプーンを運ぶ仕草も機械的だ。 「お前、なんか知ってる」 「なんで僕が?」 「明らかにお前意識してた」 まあ、バレバレか。出席とるとき僕の名前のとこでめっちゃどもってたもんな。 「さーね」 「食えねーな」 ち、と舌打ちをされて顔を上げる。土方さんの眉間は軽く寄っていた。 「だからお前ら嫌いだ」 お前ら、というのは僕と姉さんのことだろう。一緒にされるのにいい気はしなかった。 手を振って水を切って、そのまま行ってしまいそうになるのに、口が勝手に開いていた。 「痴情のもつれ」 びっくりしたように振り返る。目は猫みたいに丸くなっていた。 「…オマエ、と、アイツ、が…?」 まあ嘘は吐いてない。多分。ハンカチで手を拭きながら僕はにっこり笑った。 「詳しく聞きたいですか?」 顔を真っ赤にしてぶるぶると首を振る。そんな土方さんを見たのは初めてだったから、ちょっとこのひとほんとにかわいいじゃんと思った。 屋上の扉を開けたら遠くのフェンスにぽつんと人影が見えた。煙草の煙がのぼっている。 抜き足で近づいて、 「ここ立ち入り禁止ですよ」 真後ろからぼそっと声を掛けたら、面白いくらい肩がビクンと跳ねた。 「な、何の用だよ」 僕を認めて、ざりざり後ずさる。煙草はぼとりと地面に落ちた。 「なんスか、その反応」 僕は煙草を足元で揉み消しながら、ムっとして腕を組んだ。 「まるで僕がゴーカン魔みたいじゃないですか」 「どう違うんだよ!不意打ち喰らわせやがって。お、俺の純潔がだな」 図々しいったらない。成人男子のたばこ臭い荒れた唇に純潔も何もあってたまるもんか。 「まさかファーストキスってわけでもないでしょう」 「バカ、ちげーよ」 そりゃキャバクラのおねーちゃんとかフーゾクのおねーちゃんとか、そういうのはあるよ。ブツブツといよいよ情けない言い訳をしてる。 「でも本名も成績も普段の顔も知ってるやつとするのなんて初めてで、」 憔悴したようにそう云った。 「気持ちわりぃ、よ」 そういうのオレダメなんだよマジで。顔を覆う。 僕は開いた口が塞がらない。こりゃあモテない筈だよ。 近藤さんや土方さんのことを青臭いと、セイシュンしてると笑うから、 自分はレンアイになんて倦んで擦れちゃって、達観してるのかと思いきやとんでもなかった。 僕以上に中学生みたいなこのひとになんだか腹の底がムズムズした。 これが恋愛感情だなんて自覚はこれっぽっちもなかったけれど、 ただもっと困らせてやりたいと、もっと僕に困ればいいと思った。胸がどくどく鳴っても、頭の中はすごくはっきりしていた。 背伸びをして顔を寄せる。先生はあせってもう一歩身を引こうとしたけど、背中がフェンスにぶつかった。籠の鼠みたいだと思った。 「おい、聞いてんのか」 「うん」 切羽詰まった声の先生が、瞼のすぐ上で唾を飛ばす。 「ぜってーオマエ聞いてないだろ!」 「うるさいな」 両手で頭を掴んで、ぐいと引き寄せた。髪に触れたのは初めてだと思った。 「わ」 今度は斜めから、深く唇を押しつける。 僕の腕を引き剥がそうと肘に添えられた手は、舌を入れたら震えて力が抜けた。 薄目を開けたら、頬の横で諦めたように睫が伏せた。 足元では短い影がひとつになっている。 ひとつになっている、ということがすごく成しがたいことのような気がして、 どこまで僕はこのひととひとつになれるんだろう、と思った。 |