青春ガチンコファイト
「失礼しまーす」 おざなりにおきまりの文句を吐きながら国語準備室のノブを回す。ほんとはそんなこと心にも思っちゃいない。だって絶対邪魔するのが失礼に当たるようなこと中でやってるわきゃないんだから。 細長い部屋には一番奥の机に白いごわごわの頭が見えるだけで、他には誰もいないようだった。突き当たりの窓はカーテンがしめられてて、部屋は昼間なのに薄暗い。窓の端から漏れる光は舞い上がる埃を照らしてて、僕はここいつ掃除したんだろ、と思って薄ら寒くなった。 大方の予想通り、僕を呼び出した張本人は机につっぷして高いびきをかいている。 「起きろ、ダメ教師」 塗料が剥げた鉄製の机を真横から蹴り上げたら、ボゴンと大仰な音が立って、 むあ、とか変な声を漏らして銀髪が起きあがった。 ヨダレを拭いて、目をごしごしやりながら右手をぶらぶら振る。 「オハヨー、新八くん。ごきげんいかが?」 「アンタのせいで最悪だよ!」 机にプリントの束を叩きつけてつっこむ。こいつに教員免許を与えるようじゃもう日本はオワリだと思う。 「放課後までに集めてここに届けろって云ったでしょ、コレ」 「あー、オレそんなこといったっけ」 コレだよ。もう最悪。 あの協調のきの字もないクラスでプリントを定時までに集めるという作業がどれだけ大変か、僕の苦労も察して欲しい。ていうかよく考えたら第一僕学級委員でも何でもないんですけど。何でこんなことやらされてんの。パシリ?パシリか? 「これで用済みですよね。帰ります」 イライラが思いっきり顔に出てたのか、先生はまぁまぁとかどうどうとか僕の両肩をぽんぽんと叩いた。 「コーヒーでも煎れてやるから飲んでけよ」 このひとなりに気を遣ってるのかな、と思ったら子供らしく懐柔されてやってもいいような気分になって、でも不機嫌そうな顔は崩さずに僕は手近な椅子を引っ張ってきて座った。 先生がどう見ても洗ってなさそうなビーカー(っていうかそもそもなんで国語準備室にビーカーがあるんだ?)を手にとってこれでいいかとか云うもんだから思いっきりつっこんで、結局カップ洗ったりコーヒーメーカー動かしたりとかもみんな僕がやった。僕の突きだしたコーヒーをありがとうも云わずにズルズルすする先生を見ながらバカじゃなかろうか僕は、と自分の性格を呪った。 プリントをペラペラめくりながら、先生はほーとかはーとか云ってる。あ、やっぱ一応読むんだ。 内容はなんかアンケート的なもので、将来の夢、とかそんなんだった気がする。中3になって将来の夢かよ!って思ったけどうちのクラスは地に足ついてるひとなんていないもんな… 「見ろよ、神楽の」 「第一希望から第三希望まで『すこんぶ』でしょ。見ましたよ」 あのこ留学生って云ってたけど、日本語よくわかってないんじゃないだろうか。でもわかってても同じ事書きそうな気もする。 「あとスゲー、ゴリラの」 差し出されたプリントの記入欄には、やっぱり全部「お妙さんのお婿さん」って書いてあった。ゲンナリする。 「ゴリラも懲りねーよなー。オマエどうなの、アレがお兄さんになるってどうよ」 「冗談じゃないです」 あんな暑苦しい兄は厭だ。それに、直接的に近藤さんのせいじゃないけど、姉さんを近藤さんがおっかけまわしてると隣の席の土方さんがすごい不機嫌になって、そっちでも僕は迷惑してる。殺気ダダモレになるから正直怖い。 最初は何が原因で土方さんがいきなり不機嫌になるのかわからなくて、そういうメカニズムになってることに気付くのに暫くかかった。 「多串くんもねぇ。いっそ対抗してゴリラの嫁って書くくらいすればいいのに」 ぼそっと先生が云ったので、僕は驚いて顔を上げた。生徒のことなんて大概無関心だと思ってたけど、ちゃんとこのひと見るとこは見てるんだ。 「何て書いてあるんですか?」 「白紙」 何か書いて消したような痕があって、それで僕はちょっと可哀想になった。そう、土方さんを見てると時々やるせない。ほんとに開き直っちゃえばいいのにと思うときがある。 「まあみんなセイシュンしてて、いーんじゃねーのか」 「年寄りの発言ですね」 投げたようなまとめ方をするもんだから、僕はちょっと嫌味を云った。 「まーな。こんなにハッキリスキー、とかキライー、とか思えるのって今のうちだけだぜ」 でも先生は堪えてる様子はあんまりなくて、声はいつもみたいに抑揚がなかった。 「だんだんと他に考えることが多くなってくるとぼやけて来るしな、そんなん」 スキとかキライとか、そんなんもみんなぼやけて来るんだ。繰り返して唇だけで笑う。 いつもちゃらんぽらんに生きてる癖に、こういうときだけ大人ぶる、僕らとは違うと云って線を引こうとするような先生になんだかムっとした。ずるいと思った。 「もードキドキとかしねーもん、オレ」 云われて、僕の中で、何かカチってスイッチが入った。 机の上の袖を掴んでこっちを向かせて、先生の胸元に肩を入れて鼻先をぐいっと近づけた。 「なんだ?」 わけがわからないといったふうに瞬きしたのを見計らって唇に噛みつく。 キスというよりは噛みついた、に近かった。 それでも瞬間ぶつかった唇は確かに柔らかくって少し熱くって、コーヒーの味がした。 唇を結んで向き直ると、先生は目をこれ以上ないくらいに剥いていた。 「おま、おま、な、何すん、」 声は上擦って割れていたもんだから、 僕は間をたっぷりおいてからこう云ってやった。 「少しはドキドキしたでしょう?」 口をぱくぱくと動かす先生を尻目に僕は席を立った。 「失礼しましたー」 とぼけた声でそれだけ云って、ドアを後ろ手に閉めたら、ざまあみろという気持ちとしてやったりという気持ちと、あと得体の知れないドキドキが心臓の音を急に大きくした。僕は廊下を駆けながら、これで何かが始まってしまうような予感がして、でも別にそんなことはちっとも怖くないと思った。 |